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アヴェスターにはこう書いている?
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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井出明 『ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅』

左派的な市民運動が結実し、環境保護が実現した例として、知床は社会科学的にも大きな意味を持っている。世界遺産登録の際、ユネスコはこうした市民運動も重視しており、単に自然が美しいとか大切だなどという理由の他に、「市民が自然を守った」という点が高く評価されたことにも留意しておきたい。こうした経緯は環境省もほとんど言及していないが、それは林野庁の失政を明かすことにもなるのでやむを得ないのかもしれない。(p.76-77)


環境省が言及していないことについて著者はやむを得ないのかもしれないとしているが、私としては、もっと突っ込んでほしいところである。むしろ、そうした失政があったことを反省して現在の施策を進めていると政府の側が言えるような取り組みをしているのであれば、かつて失政があったとしても政府としての説明をしても何の問題もないないはずであるし、そうあるべきであろう。そうした失政をなかったかのごとく隠蔽して、やり過ごすことを許しておくことは、「やり過ごしてしまえばそれで済まされる」と官僚や省庁に学習させることになり、政府の政策決定の質を低下させることになり、問題である。



田舎の島なので地域が閉鎖的なのかと思ったが、このエリアは旧大日本帝国においては台湾との交流ルートに位置しており、人の行き来がかなり多くあった。というよりもむしろ、近代国家が意識される以前から、中国や東南アジアを含めた広い交流圏が成立していたと言ってよい。(p.84)


西表島についてのコメント。



もともと詐欺同然で本土や沖縄本島、そして当時日本領であった台湾などから集められた労働者は、口入れ屋(仲介事業者)の周旋によってこの島に辿り着く段階でかなりの借金を背負わされていた。
 島に到着した人々は、その時をもって貨幣経済から隔離されることとなった。というのも、飯場では、その内部でのみ通用する地域通貨が使われており、炭鉱の労働者に対する賃金はこの制度に基づいて支払われた。島の売店では酒などを買うことができたが、その価格は相対的に高額であり、いくら働いても借金の元金は減らず、稼いだ金は日々の消費でなくなっていったそうだ。現地でのみ通用する地域通貨を使うというということは、仮にその紙幣を握りしめて島を脱走したとしても、脱走先での生活が不可能になることを意味している。
 現代では、地域通貨といえば、経済学の教科書でも取り上げられるように地域活性化の切り札のような紹介をされるが、こちらの例が示すとおり、搾取と隔離のために地域通貨が用いられた例もあることを忘れるべきではない。(p.92-94)


前段は現代の外国人技能実習制度を想起させる。戦前と同じことが現代においても行われている。こうした事実があったにもかかわらず反省や改善が見られない点に留意したい。日本政府には事実を認識し、それに対して適切に対策をするという能力が欠けているようだ。

後段で、地域通貨が搾取と隔離のために用いられたことを指摘している点も興味深い。地域通貨というと、何かと善いものとして持ち上げられることが多い昨今だが、それにはこうした歴史があったということも踏まえておくことは重要である。過ちを繰り返さないために。



土木工事を始めるとして、男たちが集住する地域には、必ず女郎屋が出現する。これは、良いとか悪いとかといったレベルで捉えるべきではなく、いわば論理必然としての現実である。この地にも、慰安所として女郎屋が現れたのであるが、そのハードは地元住民の屋敷が国家によって接収されたものであった。慰安所の設営にあたっては、朝鮮の女衒(せげん)が活用され、いわゆる慰安婦たちも朝鮮から連れて来られた女性が多かった。
 先の労働者の説明のところでは言及しなかったが、労働者の募集にあたっても、朝鮮の現地の口入れ屋が暗躍しており、不当な詐術を用いて労働者が集められていた。(p.138)


松代大本営に関するコメント。これに類する事態は様々なところで行われていたと思われるが、個々の事例について記憶の継承をしていくことは重要である。



廃墟は、ハードウェアとして打ち捨てられた物体そのものである。一方、遺構は、客観的な見た目は廃墟と同じようであっても、そこにコンテクストを読み込み、人間の文明活動の所産として存在している状況にあるものを指す。(p.156)


著者はこれに続いて、ここにガイドと歩くことの意味があると言い、ダークツリーズムという経験においてガイドの見識は重要な意味を持つという。確かにその通りだと思われる。



 ダークツーリズムポイントでしばしば出会うガイドは、いかに大変な悲劇があったのかということを全力で語ることがよくあるが、状況を客観化できない語りは、旅人に「大変だったんですね」としか言わせられず、内面的な啓発を与えることが難しい。これは、ダークツーリズム以外の観光形態にも言え、「ここが素晴らしい」という押しつけがあると、旅人の内なる革新につなげることがやはりできない
 眼前の状況を他の地域との比較の中で述べ、最終的な解釈は旅人に委ねるとともに、旅人にゆっくりと考える時間を与えながらガイドをしてくれる専門家というのは日本ではあまりいない。(p.157)


ガイドの側からコメントを付け加えると、他の地域と比較しながら説明するという点にも、もう一つの留意事項がある。それはガイドを受ける側の旅人が持っている知識とある程度結びつくようなものを使わなければならない、と私は考えている。このため、どの人に対しても適切なガイドをするということは非常に難しいことだ、ということになる。その地域について十分に知悉するだけではなく、他のあらゆる地域の事情についても知らなければならないからである。ある意味、この辺りにガイドをすることの奥深さがあるのではないかとも考えている。



1泊2日、約80キロの旅ではあるが、足尾銅山から渡良瀬川を下り、遊水池に至る旅路には近代日本の社会問題が集中している。……(中略)……。わずか80キロの間に、鉱工業・外交・労働争議・過疎・農業・環境問題・地域間対立・除染・強制移住・土木事業・政治などさまざまに近代日本を俯瞰できるコンテンツがあり、これは壮大な大河ドラマを構成するほどであるし、現代の福島に通じる論点も内包している。にもかかわらず、コンテクストとして体系的に供される状況にはなっていない。
 これは非常に残念な状況であるが、克服の可能性がないわけではない。その役割は、旅人(ツーリスト)という非常に“無責任”な存在が担う。上流域と下流域の交流は基本的に薄いのだが、旅人は自由に行き来でき、旅先で見たことを別の場所で話をする。受け入れるホストの側は、旅人の話で啓発を受け新しい道を模索する。まさに旅という「弱いつながり」が地域イノベーションを誘発する。(p.167-168)


この指摘は本書で得た収穫の一つだった。旅という行為は、旅をする人だけでなく、旅をする地域にも貢献する可能性を秘めている。個人的には旅をして旅人が帰ってきた地域にも影響する可能性があるのではないかと考えている。

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