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アヴェスターにはこう書いている?
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トマ・ピケティ 『格差と再分配 20世紀フランスの資本』(その2)

人民戦線が確立した新しい税率表は、それによって何が可能になるかという点においてとくに野心的なものだった。税率を平均税率で表わすことによって高所得層に対する税額をかなり増やせるが、その際、並み外れて高い限界税率を表に出さなくてすむのである。事実、人民戦線の税率表に示された最高税率(40パーセント)は、最高限界税率が60パーセントと72パーセントだった1923~1925年の所得課税時の歴史的な最大値よりだいぶ低い(表4-2を参照)。だが本質的な違いは、限界税率ではなく平均税率だということである。……(中略)……。そのポワンカレ時代の税率表と比べると、人民戦線が採用した40パーセントの平均税率は、高所得層の総合所得税の負担を著しく大きくする結果をもたらした。(p.354)


税率表が限界税率で書かれているか平均税率で書かれているかということは、税率を決める際の人びとの認識に大きな影響を及ぼす。現在のような超高所得者にとって有利な税制になっている現状においては、この効果を利用しない手はないと考えられる。



言い換えると、「200家族」(分位P99.99-100)の所得と平均所得、および「200家族」(分位P99.99-100)と高所得層の各分位との隔たりが、20世紀末のおよそ5倍以上だった時代には、最も給与の高い人々を含めて、賃金労働者を税制面で優遇することに「事実上」の根拠があったのだ。……(中略)……。超高額の資本所得が過去ほど高い水準でなくなった世界で、「所得の高い賃金労働者」に対して適用除外の税制を認めることはしだいに根拠を失っていった。(p.410-412)


給与所得と資本所得に対する課税の重さについて、興味深い指摘。超高額の資本所得が存在し、それが誰の目にも明らかであった時代には、資本所得より給与所得への課税を軽くすることに対する社会的なコンセンサスが存在したが、両大戦の時期に超高額の資本所得が大打撃を受け、さらに累進的な所得税などによってその復活が妨げられてきた20世紀末にあっては、その根拠はないとみなされるようになってしまった。



じつは、こうした適用除外の方式が帯びる重要性はかなり高いので、20世紀末に適用されている税制について「単一」の所得税という言い方をすることはおそらく誇張になる。20世紀末の所得税はかなりの程度まで、1914-1917年に確立された所得税と同じくらい「複合的」であって、本質的な違いは、いま寛大な扱いを受けているのが賃金所得ではなく動産資本所得だということである。(p.426)


この指摘は日本にも当てはまる。動産資本所得の優遇はやめなければならない。



 概して、資本所得への優遇を正当化するために第二次世界大戦直後になされた主張(戦争による荒廃、インフレなど)は1945年から今日までに著しく説得力を失い、20世紀末のフランスでそうした優遇になお意味があるのか考えてみることはきわめて理にかなっている。(p.429)


このことは日本にもそっくりそのまま当てはまるが、本書のいう通りである。



 所得税の分散化と「大衆化」の過程が「栄光の30年」と同時に終わることもまた注目に値する。前章で指摘したように、所得税は1980-1990年代には「下げるべき税」になる。1980年代初めにモロワ政権が実施した増税が20世紀最後の増税で、それ以後、所得税は引き下げる方向でしか改革できないというのが暗黙の了解になる。1980-1990年代のこうした転換がかなりの程度まで経済成長の不確実性によって説明できることは疑う余地がない。「栄光の30年」を通じて、所得が力強い伸びを示したことが、所得税増税を根拠づける口実になった(いずれにせよ、所得税は購買力の増大をきわめて部分的にしか削らなかった)。逆に、購買力が停滞した1980-1990年代には、所得税は納税者にとってしだいに耐えがたい徴収となる。(p.459)


この流れは日本もほぼ同様である。これを下げてしまったがゆえに、超高所得者への課税が軽くなり、膨大な格差が広がっていったことは21世紀も20年近く経過した現在から見れば誰でもわかることであろう。



所得税の目的は常に超高所得者の資産家に重点的に課税することであって、「高所得の賃金労働者」を標的にすることではなかった。(p.508)


なるほど。この認識は本書から得た大きな収穫だったように思う。



 1990年代末には、累進所得税の名目で申告される動産資本所得(主として「直接的」に所有される株の配当)は年に1000億フラン強である。同じ時期、源泉分離が適用される所得の総額は年に600億フランを超え、完全に非課税の各種預金口座と積立口座(A預金、青の通帳、産業振興向け預金口座、大衆向け預金口座、住宅購入積立口座、大衆向け積立口座、株式積立口座など)の保有者が毎年受け取る所得の総額は1300億フランに達する。したがって、適用除外制度が通常の規則になり、一般法の制度が例外になったと言っても過言ではないことがわかる。1990年代末には、源泉分離が適用される所得と、完全に非課税の預金口座と積立口座の所得の総額は年におよそ2000億フラン、つまり所得税納税のために申告された動産資本所得の2倍近い額である。これら二つの適用除外制度がなくなれば、つまり源泉分離制度が廃止され、完全に非課税の預金口座と積立口座すべてが、1914-1917年に制定された税法におけるように一般法としての所得税の対象になれば、累進所得税を課せられる動産資本所得の総額はおよそ3倍になるだろう。この数字から、動産資本所得に対する課税方法が20世紀を通じていかに劇的に変化したかが理解できる。(p.526)


恐らく日本でも同じような傾向になるのは間違いないと思われるが、具体的な数字としてどの程度になるのかが気になる。



1970-1996年に申告をした超高所得層は(1981-1982年を含めて)、最高限界税率の変化にはっきりした形で反応した様子はなく、超高所得の相対的水準の短期的変化をもたらしたのは、課税による刺激よりもむしろ、マクロ的経済循環(限界税率の変化とは無関係に、景気後退局面では超高所得層は他の所得層よりも落ち込みが著しく、景気回復局面では他の所得層よりも上昇が早い)である。(p.568)


前段の事実は、いわゆるキャピタルフライト論に対する批判となる事実(少なくとも過度に心配する必要はないことを示す事実)であると思われる。



アングロサクソン諸国が、今日私たちが知るような非常に不平等な国になったのは1980-1990年代のことである。イギリスは1970年代の初めには北欧諸国と同じ水準であったが、20世紀末にはヨーロッパで最も格差の大きい国になった。アメリカは1970年代初めはヨーロッパ諸国の平均値と同じ水準だったが、20世紀末には西洋諸国の中で最も格差の大きい国になった。(p.652)


サッチャーやレーガンに代表されるような新自由主義的な政策が採られた結果、どのようなことが起こるかが如実に表れている。ある意味、このように不平等で貧困層が厚い不安定な社会になったからこそ、その後、アメリカではラストベルトの人々などがトランプのようなポピュリスト的な排外主義者を称揚して支持するような事態になったり、イギリスもEUから離脱するような選択をしてしまったり、といった政治的に不安定な事態に繋がっていると理解すべきだろう。



 ただし、経済的な観点からは、1914年から1945年までに起こった資産格差の縮小が、戦後の発展した経済を活性化するのに貢献したという考え方は完全に正しく、妥当であるように思える。資本蓄積のカウンターを「ゼロにリセット」することにより、資本と権力を手に入れる方法を独占していた資本主義の古い財閥の没落は加速されたが、それは新しい世代の個人事業主の出現に有利に働いた。……(中略)……。
 したがって、この説によれば、大きすぎる資産格差の存在は経済発展と経済成長にマイナスの影響を与える。なぜなら、こうした格差のせいで、重要な決定(新たな投資、新しい企業の創設など)が一握りの国民の中で行われるようになり、価値ある計画をもっている多くの人々が決定にかかわれなくなるからである。同様の理由から、累進所得税と累進相続税は、あまりにも大きな資産格差とあまりにも大きな相続格差がふたたび形成されるのを防ぐので、経済成長にとってプラスの影響を与えるだろう。その場合、これらの税の正当性に反論することはむずかしいだろう。累進性の高い税の存在は、資本主義が生み出す最も不当な格差を消滅させるだけでなく(あるいは少なくともかなり減少させるだけでなく)、経済発展も活性化させる。とはいえ、これは仮説にすぎず、激しい政治論争が起きたとしてもどんな言い訳にでも逃げ込んでしまえるほど不確定要素が強い。事実、このような説の妥当性を、誰にでも受け入れられるような完璧に厳密な方法で証明することはきわめてむずかしい。経済成長には多くの要因があり、個々の要因を切り離すのは不可能なことが多いからである。「栄光の30年」にはすべての先進国で非常に累進性の高い税が適用されたが、明らかに、そのことが例外的に速い経済成長を達成する妨げにはならなかったことを確認するにとどめよう。(p.706-707)


資産や所得の格差が大きくならない方が経済的な活力も大きくなりやすいという説には私も同意見である。少なくとも経済の需要側を活性化させることは間違いない。供給力が需要を上回る社会においては間違いなく妥当するだろう。

少なくとも累進税が高度経済成長を妨げた事実はないという点はピケティと同様に強調する価値があると思う。



20世紀の経験は、あからさまに格差が大きくなった社会は本質的に不安定だということを示している。過去についての研究から、資本が集中しすぎると社会正義の観点からだけでなく、経済効率の点でも否定的な結果になるように思える。1914年から1945年までに起こった資産格差の縮小は、昔の資本家による財閥を衰退させ、新しい世代の個人事業主の出現を促したことで、「栄光の30年」の時期に西洋社会において経済を活性化させたというのは大いにありえることである。累進税には、第一次世界大戦前と同じような状況がふたたび現れることを妨げるという長所がある累進税が適切に適用されなければ、長期的にはある種の経済停滞が起こってしまうだろう。(p.715)


全く同意見である。ピケティは膨大なデータに基づき、厳密な方法で論証を積み重ねた結果この結論に達しているということに注意を促しておきたい。

逆進性の高い税制にしていくと経済停滞に陥る。現在の日本政府の政策を見ていくと、それが真実だとわかる日が来るだろう。ただ、誰の目にも明らかになった時には恐らく手遅れだろうが。(というか、政策の効果が表れるタイムラグが数年や十数年にわたることを考えると、因果関係をはっきり認識できる人は少数派にとどまるのだろう。)

このことに多くの人が気付くにはどうすればよいのだろう?高等教育、マスメディア、インターネットといったものの情勢を総合的に考えると、楽観視することは私には到底できない。

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