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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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久保田哲 『帝国議会――西洋の衝撃から誕生までの格闘』

 他方で、「天皇は国家危急の場合及公共の危難を避くる為め、内閣の責任を以て法律の効力を有する勅令を発す」とある。つまり、内閣の判断で法律と同じ効力を持つ勅令の発令が定められた。この緊急勅令には、議会の事後承認も不要であった。また、「罰則を付し及強制処分を施す」勅令も発令できた(「伊藤巳代治関係文書」)。(p.162)


これは明治憲法の規定だが、どこかで見たことがあるような感じである。自民党の改憲案は明治憲法への回帰を志向しているということがこうしたところからもわかる。(もちろん異なるところもあるが、それをもって自民党案と明治憲法とが無関係と主張するのも妥当とは言えないだろう。日本会議の目論見などを考慮に入れればなおさらである。)



金子の演説には、イギリスの貴族と異なり、日本の華族には「憲法の発達又は民権の伸暢」に大した功績がないとの発言があった。(p.220)


金子堅太郎という男は、常に他人を見下しており、彼の精神には悪い意味でのエリート意識が充満していると感じる。北海道に設置された集治監の囚人たちを労働に駆り出し、過酷な労働で死んでも財政負担が減るからよいのだといった人権意識のかけらも見られないような発言や札幌農学校は高尚過ぎて無用であるといった論も然りである。



 戦後日本の議会である国会にも、官僚が立案した法案を粛々と可決しているに過ぎず、ほとんど意味をなしていない、という見方がある。しかし官僚は、国会で可決されないと思われる法案を提出しない。国会の多数を占める与党の政策志向を考慮した法案が提出される。つまり、立法過程に国会の意向が反映されており、それは国会が存在する意義である。(p.241-242)


なるほど。しかし、小選挙区制の下では国会の意向と国民の意向のズレが極めて大きく、多くの人々の意見を代表しないという問題がある。その意味では、現行制度の下では国会の意向は反映するが、国民の意向は反映されないということが多くなっているのではないか、とは言えそうである。



 兆民は言う。内閣とは何か、政府とは何か、政党とは何か、租税とは何か、人びとはもっと考えるべきである。「今の政党家は、人民の財布の盗賊にして、又輿論の盗賊なり、既に財布を盗まれ、又輿論を盗まる。猶お是れにても考えざる乎」(『中江兆民全集』13)。(p.245)


中江兆民のこの言葉、特に「世論の盗賊」というワードは、まさに安倍政権を形容するに相応しい。



 議会開設に対する福沢の「沈黙」は、彼なりの政治論であった。過度な政治熱は、やがて冷める。政治家を崇拝すれば、自らが政治の担い手であるという、本来国民が持つべき政治意識は薄れる。それでは、議会が開設されたところで、実態は身分制度のあった前時代に戻ってしまう。(p.247)


政治家を崇拝すれば本来国民が持つべき政治意識が薄れる。確かに、ポピュリスト政治家に支持が集まっているとき、国民の側には本来の主体としての政治意識はなく、強いリーダーに従属することを欲している。崇拝するから主体性がないのか、主体性がないから崇拝する対象を求めるのか。私見では後者がより実態に近いように思われ、その意味では本書の述べ方には多少の違和感はあるが、リーダーへの崇拝と主体性の欠如(従属したがっている)という現象が同時に現れることについては的確に指摘していると思う。

ただ、政治的主体としての意識が欠けているとしても、それはある意味では大多数の人々にとっては常態なのであり、それであっても成り立つような制度が必要なのである、という点は付け加えたい。

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