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アヴェスターにはこう書いている?
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山室信一 『キメラ――満州国の肖像 増補版』(その1)

 1931年9月18日、関東軍は年来の満蒙領有計画を実行すべく柳条湖で満鉄線を爆破、これを「暴戻なる支那軍隊」によるものだとした関東軍は一斉に軍事行動を開始し、ここに満州事変(中国では9・18事件と呼ぶ)が勃発した。以後、約1万400の兵力をもって関東軍は奉天、営口、安東、遼陽、長春など南満州の主要都市を占領。さらに独断越境した朝鮮軍約4000の増援を得て、陸軍中央や政府の事変不拡大指示にもかかわらず、戦火を拡大して管轄外の北満へ進出、翌32年2月のハルビン占領によって東北三省を制圧するにいたったのである。
 関東軍の軍事行動がこのように比較的スムースに進んだ背景には、アメリカ、イギリスが経済恐慌から未だ回復せず、ソ連は第一次五ヵ年計画達成に余念なく中立不干渉を声明、蒋介石率いる国民党は「攘外必先安内」つまり国内統一を最優先課題として不抵抗主義を採り、全力を共産党包囲掃討作戦(囲剿(いそう))に集中していたことがあげられる。また25万の兵力を擁する東北軍の主力約11万は張学良とともに長城線以南に結集しており、残留部隊も各地に散在していた。関東軍はいわば、その虚を突いたのである。加えて、北平で病気療養中であった張学良が戦火の拡大を避けるため東北軍に不抵抗・撤退を命じたことが決定的要因となった。(p.63-64)


1930年代の国際社会において日本がおかしなことを続けることができたのは、世界恐慌などによる経済的な混乱や国際政治の混乱があり、それに乗じて平時であれば取れないような動きが取れた(取れてしまった)ということは押さえておいて良いかもしれない。



 ただ注意しておく必要があるのは、中国では軍閥の跳梁や軍費の増大に対して、「裁兵」という軍備縮小論が孫文をはじめ、つとに論議されていたし、王道政治の重要な一環として軍隊をもたないという主張も、けっして于冲漢だけのものではなかったという点である。……(中略)……。さらに国際的にみても1928年には「国際紛争解決のため戦争に訴うることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄する」というパリ不戦条約が締結されており、軍備放棄という議論自体はけっして于冲漢のとっぴな発想というものではなかった。しかしながら、その不養兵主義を貫くために戦争遂行を至上課題とする軍隊である関東軍に国防を全面的に委任したところに、この不養兵主義理念の矛盾とイロニーがあったとみなさざるをえないであろう。だが、翻って考えてみれば、不養兵主義という平和主義を理念に掲げつつ、国防を他国に委任し自らの国土を戦略基地として提供するという構図は、どこか戦後日本が選択した方向と似通ってはいないであろうか。大いなるイロニーはけっして于冲漢ひとりのものではなかったし、それを過去のこととして笑殺し去ることもできないようにも思われるのである。(p.87-88)


興味深い指摘。



満洲問題が一段落ついたら、何か彼地で事業を試みようという、いわゆる仕事師、思惑師、利権屋という連中が、今から早くも、押すな押すなと出かけていく。満蒙とは特殊の関係ある当大阪市でも、近く商業会議所、実業団体等で一団を組み、視察の名のもとに利権あさりの瀬ぶみをやることになった。



 満州建国が日程にのぼりはじめた1932年1月22日、『九州日日新聞』は、大阪での動きを伝え、商機が満蒙の地に芽生えつつあることを報じている。こうした論調は利権や商機の可能性の示唆から確実性の強調へと次第にトーンを上げつつ各紙に頻繁に現われるようになり、それがまた満州国の出現を期待する世論を盛り上げる相乗効果を生んでいったのである。そして、満州国の出現とともに、この論調は頂点に達し、希望の大地への熱気はいやが上にも高められる。
 ……(中略)……。
 満州国建国がなぜわが国にとって経済的救世主たりうるのか、そしてなぜ満蒙が起死回生の新天地と目されたのか。もちろん、それは確固たる裏付けに基づいての展望ではない。たんなる希望的観測であるにすぎない。というよりも、そうした過剰なまでの期待が吐露されたのは、世界恐慌にまきこまれ、冷害・凶作に追い打ちをかけられてどん底に突き落とされた感のあった日本経済が、その行きづまりを突破する最後の脱出口を満州国に求めざるをえなかったことの反映でもあった。(p.185-186)


「事実を無視した国策」と「国策に乗じたメディア」による煽りが果たした役割に注目しておきたい。政策は事実に基づいて構築されるべきであり、メディアは批判的な視点を持たなければならない。



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