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アヴェスターにはこう書いている?
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柏原宏紀 『明治の技術官僚 近代日本をつくった長州五傑』

 明治26年(1893)10月には文官任用令が定められた。これまでに伊藤は内閣を支える官僚制の充実にも力を入れ、同20年7月に文官試験試補及見習規則を制定し、官僚の試験採用に道筋をつけ、その供給源となる帝国大学も整備していた(清水唯一朗『政党と官僚の近代』)。それ以前の官僚は、試験ではなく推薦や情実により採用されており、採用された官僚たちの能力にも差があって、効率的でも近代的でもなかったが、実際に業務を推進する中で淘汰されて行った部分もあり、彼らが役に立たなかったわけでは決してなかった。(p.194)


明治維新が語られるとき、何となく、封建制の江戸時代から近代社会になったかのようにイメージされるが、初期には欧米の技術を導入することにはある程度の積極性はあったにせよ、それは幕府にもあったことであり、政府も国民から選ばれた政治家が運営しているわけではなく、単に幕府や大名たちから権力を武力により奪い取った集団が統治しているに過ぎなかった。政治家が選挙などで選ばれていなかったのと同様、官僚たちも試験ではなく情実採用が大日本帝国憲法制定後まで続いていたことが分かる。

つまり、政治や行政のシステムについて、ある程度近代的な制度が整ったのは明治20年代後半以降のことであり、明治時代の半分以上の期間、統治機構は近代的でも民主的でも立憲的でもなかった。そのような時代であったということは銘記されてよいと思われる。



 特に御雇外国人ヘンリー・ダイア―の構想に基づいて明治6年(1873)8月に開設された工部大学校(当初は工学寮)が、学舎完成に伴い、同11年7月に改めて開校式を迎え、翌年11月に初めて卒業生を送り出せたことは(三好信浩『日本工業教育成立史の研究』〔増補〕)、それを当初から目指してきた山尾にとって大きな成果であった。(p.202)


建築の分野では辰野金吾などが最初の卒業生だが、彼らを教育する前の段階に長州五傑のような幕末留学組の人々が関わっていた。

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