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アヴェスターにはこう書いている?
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原暉之 編著 『日露戦争とサハリン島』(その3)

樺太が、日本帝国の構成要素として広く認識されてきたことは歓迎すべきことなのだが、朝鮮など、かつて独自の国家を造り上げていたような地域と並べて論ずることは、歴史研究の方法として問題が多いといわざるをえない。(p.367)


確かにすべてを同様に扱うとすれば問題のように思うが、歴史研究であれば、そこまで雑な議論をすることもあまりないような気がするがどうなのだろうか。



②北海道側の移出港は函館、小樽を中心とするが、前者は本州商品の中継貿易、後者は道産品の供給を特徴としていたこと(p.368)


樺太との経済活動においてもやはり函館と小樽が出てくるが、この二つの港の対照的な性格というのが、ここでも見られて面白い。



しかし、最大の都市である小樽でさえ、表の下段の対全国外国計に占める樺太のシェアを算出すると数パーセントに過ぎないことがわかる。北海道の主要都市においては、広く道外府県との商品移出入(貿易)が展開していたために、対樺太移出入はさほど大きな存在ではなかったのである。(p.382)


小樽という都市の歴史を語るとき、戦前の繁栄(国策にうまく乗ることができていた時期)と戦後の斜陽(国策が転換したことにより戦前の「下駄」が外れた時期)の一つの要因として対樺太貿易が挙げられることがある。すなわち、戦前は樺太貿易での物流もあったが、戦後は樺太が領土でなくなったことによりその分の貿易が失われたことが、小樽の衰退の要因の一つであるという語りである。しかし、それはやや誇張であることが、こうした統計からは明らかになる。

ただ、当時の小樽で樺太との交易を中心にやっていた人がいるとすれば、その人にとっては大打撃だっただろうし、その人が凋落していく契機としては十分なものだっただろう。そうした人が一定数いたことがこうした語りをもたらしたのだろうか?



樺太各地の漁場から水産物を集荷し、それらへ日用品を供給する、というのが小樽・樺太間商品移出入の姿であった。(p.382)


2つ前に引用した部分と重なる内容だが、併せて読むと道内で生産した日用品を樺太へ売るという流れがあったと言えるだろう。



 この話に中国がほとんど、あるいはまったく絡んでいないというのは特筆すべきだろう。1860年までに、北京条約の締結によって中国は北東部における広大な占有地を失い、サハリンに何ら関わらなくなったのである。まさにこのときにアメリカが現れ、地域における重要な役割を果たすようになった。世紀転換期までに中国は「アジアの病人」となり、アメリカは門戸開放を要求するようになっていた。サハリンを含む東北アジアにおいて、1850年代より中国は衰退し、合衆国は勢力を増大させた。(p.411)


19世紀後半における中国の衰退とアメリカの勢力拡大は東北アジアに限らず全世界的な情勢として言えることではあるが、サハリンに関して中国が関与することがほとんどなかったという指摘からは、東アジアに関する問題としては珍しい部類に属するのではないか、ということに気づかされる。ついでに言うと、もし中国が関わっていたとすると、この周辺に絡む領土問題などが、もっとこじれていてもおかしくなかったと想像され、それと比べるとまだましな状況にあるとは言えるのかもしれない。

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