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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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ホブスン 『帝国主義論』(その1)

 私の論点は次の通りである。即ち、すべての発達した諸国において富の生産並びに分配のためひろく行われている制度は、その生産力がその分配の不平等によって束縛を受ける段階に到達した。利潤・利子及びその他の剰余に向けられる過度の分け前は、過剰蓄積への慢性的努力を余儀なくする。というのは、増加した生産力を作り出そうと試みるが、消費財の購買という捌け口がそれに対応しないのである。かかる蓄積が更に多くの工場その他の資本を設備しても、それから何ら利潤のあがる用途を見出しえなくなれば、過剰蓄積へのこの傾向はこれがため次第に抑制される。しかしながらそれはまた外国市場に捌け口を得るため政治力を利用しようと努める。そして独立国たる外国の市場が閉鎖され又は制限されるにつれて、植民地・保護領その他帝国的開発地域を獲得しようとする動きは一層緊急且つ意識的な国策となるのである。(上巻p.19-20)



本書の主張が簡潔に要約されている箇所。これを私なりの理解で置き換えてみる。

まず、「発達した諸国」――世界システム論で言う「中核」――では、一国内の経済において、次の関係が成り立つとホブスンは考えている。

  生産可能な生産物 > 消費される消費財

このため、中核において自国内の市場で消費しきれない生産物を外国市場で売ろうとする圧力が高まる。しかし、他の中核諸国でも同様に供給過剰の状態であれば、それらの諸国は外国からの輸入を制限しようとするであろうし、強力に制限しなくてもどのみち売れない。これでは生産を消費に合わせた水準まで落ち込ませなければならず、企業家や資本家にとって利潤は最大化されない。

従って、生産物の販売先や資本の投資先は、より周辺的な諸国に求められることになる。その際に、諸企業は政治(政府)の力を動員することでその達成を容易にしようとする。それが「植民地・保護領その他帝国的開発地域」を求めようとする原動力となっている、その上、他の中核諸国も同様の対策をとろうとするために競争があることがそれに拍車をかける、というのが、ホブスンの主張ではなかろうか。

このような個々の企業の利潤追求のための活動が、帝国主義の政策となって表れる。

本書の初版は、ほぼ100年前(1902年)のものであり、ここで引用した序文は1938年版のものである。つまり、初版は100年以上前のものであり、この序文も70年も前のものである。しかし、ホブスンの主張は基本的に現在でもかなり通用する。特にブレトン・ウッズ体制は、こうした動きを抑制する効果を持っており、冷戦という形で世界を小さく区切ったことも、それの持続を助長したのではないかと私は考えるが、70年代初頭にブレトン・ウッズ体制が崩壊したことで、再度、それ以前と同じような状況になってきている、というの私見である。

新たなグローバルな経済の枠組みが必要になっていると思うが、そうした動きはそれほど大きくない。大恐慌への反省としてブレトン・ウッズ体制が作られたように、同様の大打撃を受けない限り動けないほど、人間というのは十分な反省ができない馬鹿者なのだろうか?

2ヶ月ほど前の「ツァラトゥストラはこう言っている?」の記事でケインズの豊かさの復権(メモ)というのを書いたが、こうした構想が本来はもっと議論されてしかるべきなのだろうと思う。安倍晋三・極右政権が成立したことによって、日本ではそれが完全に妨げられている。




金においても生命においても極めて高価につくこの政策によって、帝国主義国の人民が、長い期間にわたって見れば、否短い期間において見てさえ、損失者になるということは真であろう。しかし、この費用の大部分が全体としての公衆の上にかかることが普通だとすれば、外国貿易や投資に従事する資本家的利益にとっては、彼らの利潤のための政策を推進することはやはり有利であろう。かりにノルマン・エンジェル卿が主張するように、このような帝国主義が戦争を起こし易く、それと共に資本主義制度にとって致命的な国内革命の危険を含んでいるとしても、特恵を受ける諸産業に対し帝国主義のもたらす即座の利益を目前にしては、そのような結果の危険性は理解されないか、或は無視されるであろう。(上巻p.28)



かような民主主義の形態が依然として維持されているとしても、それは独裁執政官ないしは支配階層の意志の自動的もしくは強制的な表示にまで引き下げられる。(上巻p.30)



そして元気のよい対外政策を鼓舞する戦闘的掠奪性に対する感情的な訴えと共に、過剰商品と過剰人口のための捌け口を供給することによって、経済的平等主義に対する国内の民主主義的な闘争を他にそらそうと努める。(上巻p.30)



これらはいずれも小泉政権と安倍政権の日本にほとんど完全に当てはまる。100年前のイギリスで書かれたものとは思えず、現在の日本で書かれたものではないかと錯覚するほどである。

外国への侵略や戦争被害を無視しようとする政治言説や、民主主義の形骸化、政治による「格差」の無視など、いずれも帝国主義のもとで見られる現象と見事なまでに合致している。グローバルな経済活動とこれらは完全に結びついている。つまり、グローバルな活動ができる企業の利益と合致するように政治が動いているのである。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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