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アヴェスターにはこう書いている?
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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西村幸夫、埒正浩 編著 『証言・町並み保存』(その2)
「峯山冨美 ―小樽― 運河と共に生きるまちは過去・現在・未来に生きる人たちの共同作品」より

 今は、小樽の人たちに、自分の住んでいる町がこんなにすばらしい遺産を持っていたのか、この町で暮らせるのは本当に幸せだという意識の変化があったことが運河問題の一番の収穫だと思っています。(p.36)


運河問題は10年ほどかけて展開されてきたのだが、確かに運動が始まった頃と終わる頃では、市民だけでなく日本全体として地域の持つ歴史的遺産に対する考え方は変わった。このインタビューが行われたのは2004年であり、今から14年以上前のことだったりする。運河とその周辺の木骨石造倉庫や銀行建築などが大事なものだという認識は共有されてきたし、現在も恐らく続いていると思われる。

すなわち、小樽では運河問題という歴史的経路を通ったことによって地域のアイデンティティが形成(再形成というべきか)された。しかし、現在、運河問題を同時代のこととして生きた世代は次第に高齢者になりつつある(峯山さんも数年前に他界されてしまった)。その当時の社会の動きを肌で感じてきた人々が次第に社会の前線から見えなくなっていく。それが現在の情勢である。運河問題を通して得られたものから、今後引き継いでいくべき精神ないし方針とはどのようなものなのか?そのことを市民が見定めていくべき時期に来ているのかもしれない。



 今小樽は「雪あかりの路」(図10、11)という催しをやっています。……(中略)……。
 三十年経っても、運河を守る活動の延長に新しいまちづくりが続いていることがいいんです。形は違っても運河と小樽の町を意識するためのお祭りですから。運河を中心としたまちづくりはこれからも小樽の町に続いていくだろうと私は信じています。
西村 ポートフェスティバルが今の雪あかりの路に形を変えて伝わっているということですが、両方ともたしか実行委員会方式で、毎回役者が代わって手を挙げた人がやる形になっていますよね。あれはなかなかいい制度だと思います。同じ人がやっていくと疲れてきますが、毎年新しい元気な人が出てきて、つながっていく。(p.38)


ポートフェスティバルも雪あかりの路も「運河と小樽の町を意識するためのお祭り」というのは、非常に的確なとらえ方と思う。

実行委員会方式というのも、活力を維持しながら続けていくには確かに良い方法と思う。



峯山 私は決して市に対して恨みがましく思っていません。議会の議決を経て予算がついたものは断行するという市長さんの立場もよくわかる。それに私たちが異を唱えたのがそもそも無理なんです。私は無理を承知でみなさんとやってきた
 ……(中略)……。
西村 そうして計画は少しずつ見直されていったわけですが、あの埋め立ては峯山さんにとって許容範囲だったのか、それとも許されないのか。どうですか。
峯山 私はそういう気持ちはさらさらありません。十年間皆と運動を進めることができて、市民の意識が変わったことの方がよっぽど嬉しいのです。運河の幅ではなく、町に生きる人たちの意識の問題です。先輩のすばらしい働きがあって今があるのだ、小樽の町を大事にしようと市民が思えたことの方が意味があると思っています。(p.39-40)


本書では何人ものまちづくりの先駆者たちの証言が掲載されているが、私の見るところではやはり峯山さんが最もすごい人だと思っている。懐の深さというか、人間としての大きさが感じられるからである。無理を承知としながらも、十年間も大変な苦労をしながら運動を進めてきた。それも様々な立場の人をまとめながら。市に対する態度もクリスチャンらしい許しの精神が感じられる。



 一番困るのは、例えば「俺の小樽」とかいう変なのぼりを立てて観光業者が入り込むことです。全国の観光業者が町並み保存ができたところに容赦なく入ってきて雰囲気を壊してしまうんです。それに強く意見を言えるような役所でなければならないと思います。私は早速やめさせてほしいと役所に申し入れたのですが、自由経済の時代にそんなことは言えないと一蹴されました。(p.42)


自由経済だから言えないという当時の役所の対応は妥当とは言えないだろう。景観条例などによって規制できる可能性はあると思う。法令や条例の制定なしにですぐに行政指導的に言うのは確かに無理がありそうだが、条例制定などによって対応できる可能性は十分あるのではないか。



「小澤庄一 ―足助― 本物にこだわる古くて新しいまちづくり」より

地域づくりというのは、本当に地域らしいもの、つまり地域文化を取り入れることが絶対必要だと思うんです。だから歴史勉強の中から、世界的なものはないとしても、この地域固有のものはきっとあるはずだということを考えたわけです。(p.126)
その地域らしいものを取り入れるというのは、まちづくりの核心ではないかという気がする。それを見定めることに資するように地域の歴史などを学ぶ。峯山さんも学びながら運動するということを言っていたそうだが、このあたりのコンセプトは小澤氏と峯山さんで共通しているように思う。まちづくり運動のネットワークの中である程度共有されている考え方なのだろう。

自分の住んでいる地域なり市の「地域らしいもの」は何か、と言われると、意外なほどそれを言い当てるのは難しいと感じる。何かを見て「地域らしい」かそうではないかを感じ取ることはそれほど難しくないが。この違いはいったい何なのだろう?



大部分の周辺施設を見ましても、流行りでやってだめになったようなものが多いですから。戦略的に長い期間かけて勉強して、その中からいい計画を立てるということが足りなかったんだろうと思うんです。(p.138)


地域について学ぶ、それも戦略的にじっくりと長く、ということが重要。



 ディズニーランドの仕掛けのようにいつも投資をして目新しいことをやっていくのは企業の論理です。そうではなく地域の論理でやれることをやらないかんと思うんです。だから、いつもいつも本物を追い求める姿がなければいかんと思います。(p.139)


おそらく「地域の論理」と言われていることは、じっくりと勉強して見出した本物の地域の文化を取り入れてまちづくりを進めるということであろう。

先日読んだ小樽の事例についての研究を、この「地域の論理」と「企業の論理」という対比を用いると、現在の状況を捉えるのに役立つように思われる。

小樽運河保存運動に当てはめて言えば、小樽運河を守る会は当初、「地域の論理」に基づく主張をしていたが、当初メンバーではなくもう少し若い世代の主張は、運河や倉庫は文化的な価値がある遺産だということを理解している点では「地域の論理」に根ざしているが、観光のための活用という運動の影響力を高める効果があった部分は「企業の論理」によっても意味を見出しうるものだった。

しかし、運河問題が半分埋立てという結果となり、守る会が分裂の上、瓦解すると、実際の観光開発の主流となったのは「企業の論理」に基づくものであった。このため、地区が歴史的景観として指定されていたり、建物が文化財として指定されていたりすると容易に改変できないところもあるが、それ以外のところは次第に景観の改変が進んでおり、売られているものなども地域とはあまり関係のないものが主流になってきている。この流れを見直し、「地域の論理」を改めて導入していくことが大事な時期に来ていると理解している。

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