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アヴェスターにはこう書いている?
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陳來幸・北波道子・岡野翔太 編 『交錯する台湾認識 見え隠れする「国家」と「人びと」』
松本充豊 「民主化後の政党政治――2016年選挙から展望される可能性」より

ひまわり運動には馬政権への批判・反発だけでなく、既成政党である民進党への不満が表れた側面もあった。馬政権を十分に監督できず、国民党の横暴を許したのは民進党だった。(p.26-27)


選挙で選ばれる議員や政党が有権者を代表するというのが代議制民主主義だが、この代表が有権者の意見を代表していると認められないとき、市民運動(社会運動)を通して意見を表現するという手段がありうる。台湾では代議制が機能しないとき運動により社会に訴えることが盛んだ。国民党、民進党のいずれも不十分であるとき、制度化された代議制民主主義は、その人々にとっては役に立たないため、直接民主制的な手段を使う誘因が高まる。

ちなみに、「野党がだらしない」などと日本ではしばしば言われるが、これはかなりの程度的外れな批判である。なぜならば、小選挙区制だからである。小選挙区制は投票された数と議席数が非常に大きく乖離してしまう制度だからである。この制度の下では、与党は有権者から実際には与えられていないほど大きな権力を行使できてしまい、野党は本来与えられるべき力よりも遥かに小さなことしかできないようにされてしまう制度なのである。だから、小選挙区制では常に有権者にとっては違和感のある結果しか出ない。したがって、「野党がだらしない」と直感的に感じるとき、批判すべきは野党ではなく、選挙制度の誤りを正すべきだ(より比例的な制度を採用すべき)と主張すべきであり、さらには、与党に対して負託されたこと以上のことを恣意的に行ってはならないと批判すべきなのである。



宮原暁 「台湾とフィリピン、そして日本――「近さ」と「隔たり」の政治学」より

台北市内に「バンカ」(Bangka)という先住民の言語に由来する地名があるが、この語はタガログ語を始めとするフィリピン諸語で「船」を意味する。(p.50)


台湾原住民は太平洋の人々と関係が深い。フィリピンと台湾はバシー海峡を隔ててすぐ隣であり、台湾とフィリピンの関係の深さに着目することは台湾理解のために意外と重要な着眼点であると思われる。



ちなみに基隆と淡水で要塞の建築にあたったのは、福建省などからマニラに来ていた職人たちであったといわれる。(p.50)


大陸とフィリピンと台湾は意外と近いということだろう。距離だけでなく関係も。



やまだあつし 「1940~50年代の日台経済関係――分離から再統合へ」より

 台湾からの輸出の中心であった砂糖も、国と国との間の貿易になったことで問題が生じた。日本統治期の台湾糖はジャワ糖に比べて割高であり、日本は関税で台湾糖を保護していた。……(中略)……。しかしながら、外国となってしまった1950年代において台湾糖の割高さは、日本国にとってはマイナスでしかなかった。(p.82)


日本による台湾の植民地統治を語るとき、台湾経営は比較的成功していたと語られる。このとき、産業としては製糖業に触れられることが多い。そのような場合にジャワ糖より競争力がないので保護していたということはまず語られない。しかし、当時の社会の実相を知るにはこうした側面も含めて理解することが必要である。



近藤伸二 「ノーブランドのIT大国」より

 このような独立志向は、台湾の近代史を反映した結果でもある。戦前からの住民である「本省人」は人口の80パーセント以上を占めながら、国共内戦に敗れた国民党政権とともに戦後、中国大陸から台湾に移ってきた「外省人」が支配する公営の大企業で働く道は閉ざされていた。そのため、自分で会社をつくらざるを得なかった。台湾企業の97.7パーセント(『2016年中小企業白書』2015年)が中小企業であるのは、こうした理由による。(p.114)


中小企業が多く、企業の回転も速いという台湾社会の経済的特徴は歴史的な構造の影響も受けながら形成されてきたものという理解は社会の現状認識として重要と思われる。



 04年にはその一人である大物実業家の許文龍氏を、中国共産党機関紙の人民日報が名指しで批判した。許氏は筋金入りの独立派と見られていたが、05年になって突然、台湾紙・聯合報に「台湾と大陸は『一つの中国』に属する」と表明した書簡を発表し、台湾社会に衝撃を与えた。
 許氏が創設した樹脂大手の奇美実業グループは、中国で大規模な事業を展開している。聯合報は後日、許氏の書簡は、傘下企業が中国で円滑にビジネスが行えるようにするのと引き換えに、中国側が許氏に公表を迫ったものだと伝えた。台商は、中国に生殺与奪の権利を握られているのが現実なのだ。(p.115)


一党独裁であり、法よりも人(権力者)が優位に置かれる人治の国であり、表現の自由も結社の自由もいろいろな自由が制限されている、中国。経済活動に政治的な介入をするのが当然と思っているが、ここでのやり方はひどい。



 台湾企業にとって、中国の人件費高騰も頭痛の種だ。
 アジア各国の製造業作業員の月額基本給(15年10月時点)は、中国424ドルに対し、タイ348ドル、インドネシア250ドル、ベトナム185ドルなどとなっている。中国はもはやアジアで人件費の安い国とは言えないのが現実だ。
 ……(中略)……。
 中国では、30年以上も続いた一人っ子政策によって少子高齢化が急速に進んでおり、15~59歳の生産年齢人口は12年から減少し始めた。(p.122-123)


一人っ子政策→生産年齢人口減→賃金上昇 という経路の因果関係が存在している。

台湾企業は言語の共通性や地理的な近さなども加わり、早期から大陸に進出してきたが、このことが逆に東南アジアなどへの進出というある意味「合理的」な選択を妨げる効果も発揮しているというのが現在の台湾の状況といったところか。(新南進政策は進めている。)



王惠珍 「1960年代台湾文学の日本語翻訳活動について――『今日之中国』における文学翻訳とカルチュラル・ポリティクス」より

 1960年代初頭、アメリカによる東アジアの戦略的位置づけに変化が起こり、台湾に対する経済援助政策も見直されることとなった。そこで、国民党政権は、「旧植民者」であった日本の資本を経済発展の資源として導入せざるを得なくなり、日本をよく知る本省人の人材を起用して、日本の投資を呼び込むための宣伝になるような刊行物の主編集者とした。こうして『今日之中国』が誕生したのである。(p.125)


台湾では「美援」がなくなることで日本からの経済援助が復活するのだが、そのために雑誌メディアも活用したというのは興味深い。



黄裕元 「誰がここで他人の歌を歌っているのか――「日歌台唱」にみる、台湾人の世代交代とその交差点」より

 戦後初期の台湾で、「古い国語」となった日本語は人々から切り離され、文化商品の流通も多くの制限を受けることとなってしまった。一方、「新たな国語」となった中国語は、まだ社会的にも脆弱なものであったがゆえ、社会の共通語とも言うべき「台湾語」で創作が行われたことは自然な現象であった。(p.246)


戦後初期の台湾における言語の状況についてだが、中国語がまだ脆弱だったという指摘にはなるほどと思わされた。

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