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アヴェスターにはこう書いている?
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石島紀之 『雲南と近代中国 “周辺”の視点から』

 雲南の交易で注目されることは、第一に雲南が外の世界にひらかれた1890年代から1930年代にかけて、東南アジアの半島部との経済的交流が中国の近隣諸省とのそれを大きく上回っていたことである。これは海関の設置と滇越鉄道の開通によって東南アジア半島部との交流が容易になったためであり、他方、隣接した諸省との交通はなおきわめて不便で、かつ西南諸省内では戦乱がたえなかったためである。(p.58-59)


雲南省と現在の中国の他の省よりも東南アジアの半島部との方が経済交流が活発だった。さらに言えば、この時代には中国の中央政府の勢力・権力は十分に雲南を掌握するような水準になかった。つまり、経済的にも政治的にも、当時の雲南省は中国という単位の一部とは必ずしも言い切れないような位置づけにあった。そうだとすれば、この時代になっても中国は「国民国家」ないし「近代国家」としての枠組みを十分に構築しきれていなかったと言えるのかもしれない。

中国は領海や領土について、清朝の版図を取り戻すことに執念を燃やしているようだが、清朝の版図は国民国家的な境界線によって支配されたことは一度もなかった、ということを一方では踏まえながら、彼らの主張を理解するよう努める必要があるように思われる。最終的には、彼らに対してもこちらの見方について理解させることが必要であるように思われるが、ほとんどの中国人は冷静になれない話題だと思われ、頭を柔軟に働かせてこれを理解できるような人は非常に稀であろうと予想される。

国民国家的に支配したことがない地域まで現在の国民国家の本来の領土だと主張するならば、例えば、ドイツは神聖ローマ帝国の版図をすべてドイツ領だと言わなければならない――少なくとも、そう言うことができる――ことになってしまうし、同様にイタリアは地中海を囲むローマ帝国の版図すべてを領土だと主張できることになってしまう。)



たしかにフランスは鉄道をおさえ、東方匯理銀行(Banque de L'Indo-Chine)の支店を昆明に設立して外貨・金融をコントロールし、郵政・通信をおさえるなど同省の政治・経済に強い影響力をもっていた。しかし、貿易に関していえば、雲南にとっての主要な輸出入の取引地は香港だったのであり、貿易に関してはむしろイギリスとの関係の方が大きかったのである。(p.60)


滇越鉄道がフランスの支配下にあったことから、フランスの影響が強いのかと思いきや貿易はイギリスとの関係の方が大きかったというのは、本書のここまでの行論からは意外だった。ただ、幕末の日本もフランスとイギリスの帝国主義下での競争という面が大きかったことや英仏の植民地獲得競争の激しさなどを考慮するとそれほど意外性はないかも知れない。



滇越鉄道は雲南の文化や風俗にも大きな影響を与えた。……(中略)……。またフランス風の生活スタイルが流入し、昆明では早期の洋風の建築はほとんどフランス様式のものとなった。フランス料理のレストランも営業され、フランスのブランデー・ビール・コーヒーなどが愛好された。(p.61)


以前、昆明に行ったときは石林などを見るのがメインだったので、近代建築はあまり見なかった。フランス風だったかどうか、ちょっと注意してみてみたかった。



 国民政府は、1929年に「禁煙法」を公布したが、この法律は効果がなく、1930年代に蒋介石の統治が確立して以後、アヘン禁止が実行にうつされるようになった。蒋介石が積極的にアヘン禁止を推進したのは、アヘンの害を除去するという表向きの理由のほかに、アヘンに依拠して財政収入を維持していた地方権力者を弱めて全国の統一をすすめ、さらにアヘン禁止の過程でその販売を掌握することにより経済的利益をあげ、紅軍攻撃の軍費にあてようとする意図があったからである。(p.178)


アヘンの禁止と地方権力者の弱体化が結びついているというのはポイントだろう。

日本による台湾統治で後藤新平がアヘンの漸禁政策をとったとき、日本への抵抗運動の鎮静化という政治的効果を狙ったほか、専売制にして総督府の歳入にしたが、中央の権力にとって都合の良い効果を期待してアヘン政策が使われた点には類似性があるということは抑えて良いかも知れない。(時期的には台湾の方が少し早いようだが、参照されたり影響を受けたということがあるかどうか?)



 抗日戦争時期には中等教育も一定の発展をみせた。それは雲南が国際的な援華物資受入れの要衝に位置し、交通運輸業と商業が発達したことによって、いくつかの重要都市が繁栄したからであり、また沿海諸省などからの諸機関や大学・中学の移転が雲南の教育の欠陥だった中学教員の数の不足と質の低さを改善したからである。(p.231)


雲南省は日本との戦争の際にその地位を高め、政治的にも経済的にも文化的にも重要性が増し、繁栄した。しかし、戦争という環境がなくなると急速に低迷(分野により現状維持)していった。



 省都昆明の近代的都市化にとって、抗日戦争はさらなる発展の転機になった。昆明は抗戦の重要な基地の一つとなり、とくに沿海地域が日本軍によって占領されて以後は、中国と外界とを結ぶ国際路線の枢軸となった。また1940年秋以後、日本軍がベトナムを軍事的に支配し、42年にビルマと雲南西部を占領したことによって、抗戦の前線を支える拠点にもなった。これらの諸要素が結びついて、昆明は近代的都市として拡大し、発展したのである。(p.235)


雲南省の中でも昆明は特に強く抗日戦争によるプラスの影響を受けたようである。

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