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アヴェスターにはこう書いている?
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石井伸和 『小樽志民 運河保存運動の市民力』(その1)

 昭和25年生まれの興次郎は札幌の喫茶店「ドッコ」に勤務していた。古道具が好きで札幌・小樽の古道具屋や古物商を暇があれば回っていた。独立するつもりで札幌北24条界隈に喫茶店を計画していたが、昭和48年にドッコのオーナーに誘われて、アムステルダム、パリ、バルセロナを巡った。そこで古い建物がレストラン、カフェ、アンティークショップなどに利用されているのを目の当たりにし、「これはまるで小樽だ!」と震えるほどの興奮を覚えた。(p.20)


運河保存運動に参加してきた人々には、いろいろな動機に基づいていろいろな人々が参加してきた。ここで触れられている興次郎や山口保などのように、運河とその周辺の町並みを保存することは、現状のままの凍結保存を求めるのではなく、これらを再利用していくことで街を活性化させていくという志向を示していた人々がいたが、彼らの多くがヨーロッパなどを訪れた経験を持って当時の小樽に接した時に、ここで述べられているようなある種の閃きがあったようだ。

このことは、私自身が00年代頃に経験したことと共通性があるように思われ、興味深い。当時私も毎年のようにヨーロッパや中東などの国々を訪れ、いろいろな街並みや建物などを見て回っていた。私の場合、ヨーロッパで重厚な石造建築を見た後に、現在の日本の家々を見ると、いかにもすぐに壊れそうな安っぽい建物が並んでいるように見え、ネガティブな印象を持っていたが、いつからか小樽に点在する木骨石造の倉庫などは、他の場所には同じようなものは(まとまったものとしては)なかなかないことなどに思い至ると、これはこれで貴重なものなのではないかと思い直すに至ったという経験がある。私のこの経験は、運河周辺の状況は本書が描いている時代とは大きく異なるが、「外」に目を向けた後、「内」に目を向けなおすことで、「内」だけを見ていたのでは気付かなかったことに気づくことができるようになったという点で共通性があるように思われる。



 平成25年、小樽市内の喫茶店数は74軒しかないが、昭和55年には215軒もあったから三倍である。主に珈琲を媒介に喫茶店が地域の様々なコミュニティを形成した。小樽は昭和39年に人口20万7千人のピークを迎えた。小樽の人口ピーク時に生まれた子供が成人を迎えるのが昭和59年であるから、人口構成から見れば昭和59年までは小樽にも多くの若者が居住していた。この215軒の喫茶店は若者コミュニティの拠点となり、中でも既述三軒がやがて小樽運河保存運動を担う若者の最大のステージ「ポートフェスティバル」の巣窟になっていく。(p.22)


昭和59年にはまだ若者が多く小樽にいたという説明の論理が興味深い。この論理だけでは厳密には正しい推論とまでは言えないが、大まかにはこのように考えることで人口の趨勢が数字を見なくても見える



 それはボタンの押しどころの問題やと僕は思っとる。守る会が市長相手になんぼゆーたかて相手にされへん。だから峯山さんは全国に訴えた。外的戦略に切り替えたんや。地元のボタンではなく全国のボタンを押したことになるんや。せやからこんな大きな波紋になっとんねん。逆に小樽市民も驚いとる。全国で騒がれとる我が街の運河って、そんなに大事なものかってな。今度は小樽市民がただの汚い運河を見直さなければという、遠隔操作的な働きを持ってきたんや。というより街の公共物をどうするかは全国共通の課題でもあるんやけどな。
 僕らのポートかていっしょやで。署名や陳情で行政を相手にしていては埒があかんと思ったから、市民世論を味方につけようと考えたんや。つまり行政手続きより政治基盤となる世論を喚起してきたってこっちゃな。ええか、政治決定を遂行するのが行政でも、政治決定に持ち込むのが世論という位置づけなんや。そこで市民を味方につけるには明るい祭りがええとなって、これを実践したら市民の半分が運河に足を運んでくれたんや。
 守る会が全国の世論に、ポートが市民の世論にターゲットを定めたというこっちゃな。
 ここがかつての学生運動と違うとこや。過激を方法とする革命に走れば運動ではなくなるんや。世論に基づくから民主主義がある。ところがこの世論ってやつは、あるようでなく、ないようであるんやな。世論への浸透をあきらめてしまって過激に走り、一歩間違うと暴力にさえなってまう。(p.78-79)


行政を直接相手取っても動かすことが難しかったので、全国や市民の世論に訴えるという戦術に切り替えたことが上手くいった。特に最後の一段落は興味深い。「世論はあるようでなく、ないようである」このようなものであるからこそ、最後の最後は押し切られざるを得なかったのではないか、とも言えるように思われるからである。

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