FC2ブログ
アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

黒瀧秀久 『榎本武揚と明治維新 旧幕臣の描いた近代化』

北方圏をめぐる日本とロシアのせめぎ合いは、東アジアの“アルザス・ロレーヌ”の如き位置に樺太(サハリン)や千島列島がおかれることとなる。ロシアとの勢力争いは、イギリスとの“グレート・ゲーム”の代理としてわが国が出発しなければならなかったという位置づけからはじまったともいえよう。(p.6)


ロシアとの勢力争いについて、グレートゲームの代理として出発したという評価は、事後的に見る(後付けで評価する)とそう見えるのだが、日英同盟などが締結されるより前の段階でここまで言ってよいかというと疑問に思う。



 なお、北海道開拓には、先述したようにアメリカの外国人技師が関わっていたが、ケプロンと榎本武揚は資源開発の方法や運送方法について対立していた。
 鉱山の開発方法について、榎本は自ら見つけた有望な炭鉱は直ちに開発すべきだと主張したのに対して、ケプロンはもっと北海道全体を調べてから開発する鉱山を決めればいいと主張した。石炭を運ぶ輸送方法については、榎本は産炭地の空知から日本海側の小樽を主張したのに対して、ケプロンはアメリカ資本を導入する考えで太平洋側の室蘭まで鉄道を敷設することを主張したとされている。榎本はオランダ留学の経験から小樽が良港になると考えていたのである。(p.70)


ケプロンが室蘭からの輸送を考えていたことの動機が興味深い。当時のアメリカでの北海道開拓に関する主な関心は、経済的なメリット(アメリカ製品の輸出先であり、資源の輸入元になることへの期待)にあったことに留意しておきたい。



 1885(明治18)年12月、わが国ではじめて内閣制度が設けられ、第一次伊藤博文内閣が成立した。榎本は日本初の伊藤内閣において逓信大臣に抜擢された。閣僚10名のうち薩摩藩と長州藩出身者がそれぞれ4名を占め、残るは土佐藩出身者1名と榎本で構成されていた。「薩長にあらずんば人に非ず」と言われた時代を象徴するような顔ぶれであったが、その中で旧幕臣出身者の異例の抜擢は、能力が認められたからこその結果であった。(p.90)


明治前半における日本政府の構造が現れた人事。



 しかしながら、これら榎本の功績は、これまで至当に評価されることはなかった。例えば、幌内、空知石炭山は、後に大規模炭鉱に発展するが、この発見は榎本の功績でありながら、現在ではケプロン、ライマンらのお雇い外国人の功績となっている。(p.157)


薩長の藩閥政治の中では、榎本という旧幕臣の功績とするよりは、彼らが連れてきたお雇い外国人の功績ということにしておいた方が薩長出身者たちにとっては都合がよかったということが、このような評価の背景にあったのだろうか。(榎本も薩摩の黒田が連れてきたとは言えるが、お雇い外国人と異なり、榎本はその後も日本で仕事をし続けるため、彼らの立場を脅かし得るという違いがある。)



そして最後には、「明治維新」は倒幕の主体である「薩長・土肥」のみがつくりあげたと言われてきたが、実はこの近代化には膨大な旧幕府系の人々の参加があったからこそ、成し遂げられ得たのであり、表面上の薩長の国家のトップの下には沢山の旧幕府系を含めたテクノクラートが存在し、近代化を担い続けたのである。(p.167)


旧幕臣たちが明治の近代化を支えたという点は非常に重要である。「官僚制の普遍性」という、さらに一般的な事実をも想起しておく必要があるだろう。

なお、旧幕臣たちは行政官僚制の中に組み込まれただけではなく、渋沢栄一などのように実業家として日本の近代化を担っていったような人々もいたことにも留意したい。

スポンサーサイト




この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/1302-0465ea58
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)