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アヴェスターにはこう書いている?
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堀川三郎 『町並み保存運動の論理と帰結 小樽運河問題の社会学的分析』(その2)

 しかしながら、ここで注意しておかねばならないのは、「観光都市」として再生させていくという方向性が、市当局や市民によって積極的に選び取られたというよりも、論争と対立過程の「意図せざる結果」として産み落とされ、既定路線となっていったという点であろう。前節でもみたように、10年以上にわたる対立に関わった諸主体は、分裂・崩壊の過程で疲弊し、歴史の表舞台から主体が不在の舞台で、既成事実として展開してきた。運河港湾地区に雨後の筍のように林立し始めたお土産店などは保存運動や「運河論争」とは無関係な業者であること、また、圧倒的な数の観光入り込み数がありながら、小樽市役所内には背骨となる観光政策も、十分な体制の観光担当部署もない時期が数年以上も続いたことが、「意図せざる結果」による、にわかづくりの観光地であることをよく示している。(p.112-113)


運河の保存派の側には、観光資源としての運河や倉庫という発想は確かにあり、結果的にはそれに近い方向性で展開したとは言えるかも知れないが、実際に観光を担う業者たちは実際には保存派の人々が思い描いていたように振舞ったわけではなく、また、保存派の人々がそれらの事業に一緒に関わって作り上げてきたというわけでもない、という点を考慮すると、「意図せざる結果」という評価は妥当であるように思われる。



歴史的建造物の外装を観光資源として利用しつつも、内装は新たな目的にあわせて大幅に更新して使用する――少なくともこれが1990年代以降の基本的なデザイン・トレンドであったことは、後の章で論じるように、筆者の景観調査のデータが雄弁に語ってくれている。換言すれば、長年にわたって展開された「運河戦争」を、行政も市民もこのように理解したということである。
 ……(中略)……。「斜陽の港湾都市・小樽」は、「運河戦争」をきっかけに、「観光都市・小樽」へと華麗に変身し、不死鳥のごとく蘇ったのだ。1960年以降の小樽の歴史は、一般にはこのように理解され、喧伝されてきた[12]。

[12]そうであるがゆえに、「運河戦争」での「傷」や、末期に展開された誹謗中傷合戦は忘却され、語られずにきている。(p.115)


外装を観光資源として利用しつつ、内装は大幅に更新して使用するというやり方は、私が知る限りでは台湾でも非常に発達しているやり方である。歴史的な建造物を観光資源として利用する場合、建造物自体を展示品としたり、博物館などとして利用するのでなければ、やはり多くは店舗などとして使うことになるだろう。店舗として利用する場合、どうしても内装は改変せざるを得ないことが多いということになるのだろう。この点は、理想的ではないとしても、ある程度やむを得ないのかもしれないとも思う。ただ、本書で見た事例では、文化財などに登録されていない建築の場合、小樽では外装までも改変される事例が見られ、この点には個人的には違和感や危惧を感じている

後段の注で指摘されている点には興味を持っている。すなわち、70年代から80年代の運河問題に関連して語られずにきている事柄が多くあるように私は感じている。この問題についての説明を読むとき、語られていることにぎこちなさがあり、明らかに何かが語られていないと感じることがこれまでしばしばあった。本書はこうした点についてもある程度明らかにしてくれているため、私個人としては、本書のおかげで歴史的経緯の全体的な見取り図は得られたように思っている。



2012年度以降、観光客入り込み数は回復傾向にあるものの、いわゆる「インバウンド」、すなわち海外からの観光客が大半で、国内観光客離れの傾向は否定しがたい。
 このことを、小樽の「寿司屋は潰れない」という「寿司屋神話」が崩壊して実際に潰れ始めたこと、「寿司の町」から「スイーツの町」へという変化、「K社からL社へ」という観光の中心を担う地域リーダーの交替といった事項とあわせて解釈してみるとき、そこには小樽観光の「終わりの始まり」、すなわち小樽の「過疎都市」化の傾向が見えてきているのではないかと思われる(堀川, 2012a)。特に、観光の中核を担う産業が、地場産業であったガラス製造・販売業から、必ずしも小樽という地域に根ざしていないスイーツという菓子業へと移行しつつあることは、地域の固有性と歴史性を旨としてきた小樽の歴史的まちづくりとは正反対のベクトルをもったものである点に注意が必要である。(p.116)


ガラスや寿司といった地域の歴史と関係していたり、地域の地理的環境をある程度反映していたりする産業とは異なり、地域の歴史や風土との関係が薄いスイーツ産業が観光の中核を担うようになってきている変化を指摘し、さらにそれが地域の固有性や歴史性という小樽の町づくりがこれまで目指すべきと考えられてきた方向性とは逆向きであるという指摘には、なるほどと思わされた。

もちろん、過疎化への対応が小樽という都市の現在の最大の課題であるという点は確かである。小樽の環境を考えると、企業や仕事が札幌に流出することで就労する年齢層の人々が札幌へと引き寄せられていくという流れが既にあり、これを逆流させるということが考えにくい以上、解決が非常に困難な問題であると感じており、どのように対策をとるべきか、少なくとも現時点での私には、(多少、流れに逆らう程度のことはできるとしても)十分な対策があると信じることすら難しいと感じている。(日本全体の人口減少のトレンドがあるが、社会減までもが起きやすい環境にあるという、大きな逆風が吹いている中で、この逆風を中和する程度またはそれ以上の施策があるのかどうか。考えてみるべき課題であるように思う。)



そして当時、私はね、海軍少尉に入官して、台湾の、高雄空港基地というところ、航空隊があるところですが〔、そこに配属されました。〕(p.158)


元小樽市長・志村和雄の発言より。wikipediaによると、志村は1943年に北海道帝国大学農学部水産学科を卒業した後、日本化成工業という会社に入社し、まもなく徴兵された旨の記載がある。北海道帝国大学(札幌農学校)の卒業生は台湾に渡った者が比較的多いように思うが、それと関係があるのかどうか気になるところである。(この続きの記述などから推すと、他の事例が北海道開拓に関連する研究を台湾というさらに新しい植民地の開拓に応用していくといった流れとはあまり関係はなさそうにも見えるが。)




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