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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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荒松雄 『ヒンドゥー教とイスラム教――南アジア史における宗教と社会――』

 バラモンの権威を容認しない異教徒の支配者たちは、バラモンの権威がなおまかり通っていた囲いの内側にまでは入ってこなかった。その囲いのなかの伝統的な世界では、バラモンの権威は依然として通用し、力たり得た。しかし、その権威と力たるや、囲いの外に出ていくことはできない。その結果、抑制されたバラモンたちの欲求不満は、それまでにもまして、ヒンドゥー社会という囲いのなかで、そのはけ口を求めていったとは考えられないだろうか。
 こうして、カースト的秩序を少なくとも原理的には否定し拒否するイスラムの信徒たる王権がヒンドゥーの社会をその従属下に置いたときに、カースト=ヴァルナ制は、解体に向かうどころか、かえって、それ自体の内部にあって、旧来の社会関係と階層意識とを一層強固なものとしていったのではないかと、私は推察する。(p.137-138)


興味深い仮説。本書ではある社会層の意識(動機)を想定して推論しているが、別の社会構造なり制度なりによってこれが助長されたような要素を見つけることが肝要であろう。



 思想の上部構造に見られたこのような知的交流は、私の見るところでは、ムスリム知識人の側からするものが目立ち、逆に、ヒンドゥーの世界にあって知識を独占していたバラモンや一部の上層貴族たちのなかでムスリム思想や法学体系に関心を示したものはほとんどいなかったように思われる。それも、おそらくは、ムスリム思想が、外の世界に対する積極的関心をつねに持っていたのに対して、ヒンドゥー思想家たちは、どちらかといえば、自らの教学と思想の枠のなかにだけ安住していたという一般的な傾向によるものではなかろうか。
 ただ、このような知的交流への意欲は、ムスリムの場合であっても、正統派教学のなかからはあらわれなかったと思う。ダーラー=シコーをはじめとする一部のムガル宮廷知識人が古典サンスクリットの文献に興味を抱いたのは、一つには、彼らがスーフィー神秘主義思想に傾倒していたからである。イスラムとは全く性格を異にするヴェーダーンタ哲学やヨーガ教典などに関心を示したのも、両者に共通する汎神論や広義の神秘主義的傾向を媒介としてはいjめて可能だったと、私は考えたい。(p.157-158)


ムスリム知識人(スーフィー聖者などの非正統的な人々)によるインドの思想への関心はあったが、正統派ムスリムやヒンドゥー知識人の側から相手の宗教への関心は低かったという点は興味深い。

ただ、そのようになった理由については本書の指摘が妥当かどうかという点には留保したい。というのは、外から入ってきた側の人間が、現地のことを知りたくなるのと、そこで住み続けている側の人が外から来た人々のことを知りたくなるのとでは、その度合いが違うように思われ、このバイアスが両者の相違の要因ではないかと私は考えるからである。

例えば、ここ数年、テレビなどでも外国人が日本を高く評価する様子を見て自尊心をくすぐろうとしているように見える番組が散見される。このような番組を素直に見ている人は、果たして日本に来た外国人の話を聞き、どの程度、その人の出身国について知りたいと思うだろうか?むしろ、思考ないし関心の向きは、内向き志向になるのではないか。

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