第Ⅱ部 集団の運命と全体の動き より
人間がただ一人で、自分の名で旅をするとき、その人間と、その人間が運ぶ物質的ならびに精神的財産を止めることは何ものもできない。集団や社会全体となると、移動は困難になる。一個の文明はその荷物全部を持って移動することはない。(p.192)
ブローデルの文明観の特徴として、空間性、つまり、ある場所と結びついていることが挙げられる。文明が移動するとき、全体として移動することはないというわけだ。
私は「文明」とか「文化」を論じる場合、それを主体(原因語)として語ることは極力避けるようにしているので、ブローデルとは見方がかなり違うところがある。しかし、ここの引用文を一人の人間と社会との相違点を指摘しているものと捉えるならば、ブローデルの考え方は、政策論を考える場合にも有効である。
つまり、ある政策を導入したときに、その社会全体が同じように変化することはない、と考える。金子勝が『市場』という著作で「弱い個人の仮定」の重要性を説いているのは、この点から見て極めて重要である。
中国のものであった鐘が、七世紀に、キリスト教のものになり、教会の上に納まるようになるのに何世紀必要だったか誰が知ろうか。いくつかの史料を信じるならば、鐘楼そのものが小アジアから西欧に渡るのを待たなければならなかった。(p.197-198)
鐘は中国発祥だったとは知らなかった。確かに、中国の古代の遺物には、鐘の形をしたものがかなりある。実用的なものというより儀礼に使われたものだろうが。
G.I.ブラティアニュに従って、私はすでに指摘したことがあるが、1340年頃、フランスで服装が突然大きな変化をした。つまり男の服が十字軍時代のゆったりした服に代わって、短く、体にぴったりした胴着になり、タイツ風の長靴下兼用のズボンとプーレーヌという爪先の尖った靴をはくようになった。すべて新しいことは、1300年代のスペイン風山羊髭と口髭とともに、カタルーニャから入ってきたのであるが、実際にははるか昔に由来するのである。すなわちカタルーニャ人が出入りしていたいオリエントに、またオリエントを経由してブルガリア人だけでなく、シベリア人にも由来する。一方女性のファッション、特に角のように尖った髪型は、キプロスのリュジニャン家の宮廷に由来するが、実は時間と空間を越えて、はるか彼方の唐の時代の中国に由来するのである…。(p.198)
ここでもオリエントと中国が「ヨーロッパ」に影響を与えている。比較的古い時代(1900年以前?)において、これらの地域からの影響は甚大なものがある。
ユダヤ商人は飛躍を遂げている地域に向かって行く。彼らはその地域の華々しい発展に貢献するとともに得をする。貢献は相互的である。資本主義とは、同時に無数の事柄であり、計算のシステムでもあり、技術の使用でもあり、金と信用の技術でもある。(p.264)
土地に縛り付けられていないが故に、資本と共に移動できることが、ユダヤ人(より正しく言えばユダヤ教徒)が大資本を握ってきたことの要因の一つとなっているのだろう。
近年のグローバル化が進んだ経済では、このように「資本と共に移動できる」という特性がもつアドバンテージはかつてないほど高まっている。日本経済は好況と言われ、企業は儲かるが労働者には還元されないと言われるが、それは資本家の側が投資先だけでなく労働者さえも選択できる経済の仕組みになってしまったところに重要な原因がある。
一国レベルの政策でも対策は必要だが、究極的には世界経済のあり方を規制しなければならない。現時点では恩恵を受ける人々(特に、半周辺諸国の労働者)が相当数おり、また、力の強い勢力(大資本家)にも好都合であるため、短期的には解決は困難であろう。
この構造は長期的には破綻に向かっていると思う――流動性過剰になって世界恐慌のようなことが起こるか、または、中国とインドの労賃が世界平均をある程度上回り、どこに行っても安い労働力が手に入りにくくなるまで続くだろう――が、そこに至るまではまだかなりの時間がかかると思われる。
とにかくこの芸術、バロックは、たいていの場合、プロパガンダの芸術である。それは、こう言ってよければ、良い面も悪い面も併せ持った、方向付けられた芸術である。・・・(中略)・・・。芸術は戦い、教化する強力な手段である。イメージの力によって、神の母の無垢の聖性、聖人たちの有能な価値、聖体の力強い現実、聖ペテロの卓越をはっきりと示す手段、聖人の幻影と恍惚を論拠とする手段である。(p.289-290)
キリスト教の教会で用いられる芸術様式の多くはこうした性格を持っている。ゴシックの荘厳な様式も神の偉大さを表すと同時に、建設者の力をも誇示している。ロマネスク様式のタンパンに見られる「荘厳のキリスト」なども同じである。
ただ、バロックの場合は、その激情的な表現形と総合芸術として性質のため、プロパガンダ的な性格が一層強いということもまた確かであろう。
したがって、1574年に、地中海では戦争は終わったと言うときに、どの戦争であったのかをはっきりさせておかなければならない。大国の権威拡大によって多くの費用をかけて遂行される、きちんとした大戦争は、なるほど終わりである。しかし、大戦争がなくなったために、軍隊、すなわち不十分になった儲けと俸給ではもはや艦隊の生活につながれてはいない軍人は冒険に身をまかせる(この事実は、1588年に、炯眼なヴェネツィア人、ヴェネツィア湾将軍のフィリッポ・パスクワリゴに見落とされない)。ガレー船の船乗り、時には艦隊から抜け出したガレー船そのもの、兵士あるいはふつうだったら兵士であった者、まずまず広い行動半径の冒険家はすべて、地上あるいは海上の小さな戦争に吸収される。新しい戦争が古い戦争を追い払い、取って代わる。(p.388-389)
冷戦後の世界と通じるものがあるように見える。冷戦は大戦争自体は回避されていたが、それでも各国政府により「多くの費用をかけて」「きちんとした」準備がなされていたし、「大きな戦争」としての地域的な代理戦争はあった。しかし、90年代以降は主権国家相互の間の戦争というよりは、それよりも小さな主体が戦争の主体となっている。「小さな戦争」の時代に今の我々は生きている。
それぞれの時代はその時代の戦争をつくりだし、またその時代特有のさまざまな戦争を生み出す。(p.390、本文傍点を下線に変更)
名言である。
スポンサーサイト
テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌
|