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アヴェスターにはこう書いている?
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白井厚 編 『大学とアジア太平洋戦争 戦争史研究と体験の歴史化』(その1)
白井厚 「大学――風にそよぐ葦の歴史」より

つまり学問の独立ということを謳い文句でいうのは、私学は、早慶、同志社というような学校、あるいは上智、立教のようなミッション系の大学程度でした。あとは学問自体まで国家目的に従属する傾向をもっていたということがいえます。
 したがって敗戦によって、日本が世界の大勢に初めて目を向けるようになったとき、日本の大学のあり方は当然問題になりました。そこでこれを変革し、新制大学へ切り替えた。これにはアメリカの影響がかなり強い。アメリカの大学は大衆化された大学でありまして、大学はソーシャル・サービス・ステーションだという性格がある。それから、私立大学というものが非常に重要な役割を果たしているということも認識されるようになる。占領軍の指示によって、大学の民主化というか、大衆化というか、そういうことが起こってきたのです。(p.18)


戦前の大学は、少なくとも法律上は国策に従う、国策に貢献するものとされていた。このため、官立の大学は明らかにこの法的な縛りがあった。私学も法律上は似たような縛りがあったが、建学の理念のようなところでは、学問の独立を謳う学校もあった、ということのようだ。ただ、現実に権力に対して対抗する動きがどうだったのか、という現実の動きは、こうした法律上の目的や建学の理念とは必ずしも一致しなかったことは次の引用文の箇所でも分かる。



 もうひとつ興味深い問題は、帝国大学は国家目的に従うと言いながら、実は東京帝国大学の中においては、かなり反権力的な動きが強かった。東京帝国大学だけではない。東北帝大においても京都帝大においても、九州帝大においても、皆さんがよくご存じのようなさまざまな事件がありました。東京帝大の三太郎さん、平野義太郎、山田盛太郎、大森義太郎というような人たちが逮捕されるという事件、三帝大事件とか人民戦線事件とか、滝川事件とか矢内原事件とか、九州では向坂逸郎氏が逮捕される等々、やがて東京帝大で河合栄治郎も休職になる。そういう受難の歴史をみますと、実は帝国大学のほうが多い。私学には少なくて、慶應大学には残念ながら戦争に抵抗した人はあまりいないんです。(p.19)


私学に関しては本書の後の諸論稿により、軍国主義的な政府の意向に逆らうと「配属将校」が引き上げられてしまい、これに伴う特権が失われ、特権がなくなることで学生が集まらなくなり、学校存続の危機に陥る(それを防ぐために国策に同調して行く)という構図が明らかにされる。



しかし大学を出たあとで、なにかクリティカルな状況のもとにおいて、大学で教わったこと、大学で考えたこと、歴史を見る眼、世界を見る眼、事実を確かめる眼、批判的精神を思い出し、それが自分の人生の指針になるような、そういうことを大学で学ぶことができたということになれば、非常に大きな意味があるのではないかと思います。(p.29)


このことは大学で学ぶことの意味のうち、かなり重要なものだと思っており、同意見である。ただ、このことは特段の「クリティカルな状況」ではなかったとしても当てはまるとも私は考えている。



白井厚 「「学徒出陣」――悲しき史実、悲惨な体験」より

 いずれの国の歴史も明暗両面あるものだが、日本の歴史の際立った特徴の一つはその虚構性であった。天皇は神であり日本は神国、その戦いは聖戦という虚構は、大本営発表の虚報を大量に生み出して国民を欺き、外ではどれほどの災禍をアジア民衆に及ぼしたことか。(p.49)


安倍晋三や昨今の自称「保守」(より現実に即して言えば「極右反動主義者」と呼ぶべき者たち)の特徴の一つは、戦前日本への回帰志向だが、こうした人たちが極めて「虚構」に満ちた言動を繰り返しているということが想起される。

例えば、最近1年程度の間問題となり続けている森友学園への国有地の不当売却、それに伴う文書改竄、加計学園の獣医学部設置に関する不当な政治介入、南スーダンとイラクの日報隠蔽、裁量労働制の不当で恣意的なデータに基づく説明等々の問題については、虚偽答弁(「記憶にない」ことにすることを含む)等により政府や安倍晋三にとって不都合な事実を見せようとしない姿勢が共通しており、まさにここで指摘されている特徴と共通するものである。(ちなみに、こうした反動主義者の多くが歴史修正主義などとも言われる歴史改竄主義者であると考えている。少なくとも公の場でこうした反動主義的な言動をする政治家にはかなりの割合で当てはまるであろう。)

安倍政権の政策などの多くもごまかしに満ちたものばかりであり、これほど「虚構」にまみれた内閣はかつて(少なくとも戦後には)なかった。このような虚構に満ちた政治状況が続き、それを十分に批判することなくマスメディアが報じるという状況は改められなければならない。メディアにはより批判的な姿勢が求められるが、事の根本は首相なり内閣にあるのであって、こうした人びとの交代は必須である。

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