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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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キャロル・S・ドゥエック 『マインドセット 「やればできる!」の研究』(その1)

 自分の能力を正確に評価するのは、だれにとっても難しいことだが、特にそれが苦手なのはどのような人たちだろうか――最近それを調べる研究をはじめた。その結果、自分の業績や能力に見当違いな評価を下すのは、硬直マインドセットの人たちであって、しなやかマインドセットの人たちは驚くほど正確な判断を下すことが明らかになった。
 考えてみれば、これは理にかなったことと言えるだろう。しなやかマインドセットの人のように、能力は伸ばすことができると信じていれば、現時点での能力についての情報を、たとえ不本意であってもありのままに受け入れることができる。さらに、学ぶことに重点を置くとなると、効果的な学習をするためには、現時点の能力についての正確な情報が必要になる。
 ところが、硬直マインドセットの人のように、もう伸ばしようのない能力が値踏みされていると思うと、どうしても受けとめ方がゆがんでしまう。都合の良い結果ばかりに目を向け、都合の悪いことは理由をつけて無視し、いつの間にか本当の自分を見失ってしまうのだ。(p.18-19)


このコントラストは実際に私の身の回りで起こっていたこととそのままリンクするものであり、私としては、ものの見方が整理された箇所であった。

なぜ「あの人たち」は自分の仕事ぶりや仕事に関する見識の程度について、これほどまでに勘違いも甚だしい見解を抱き、それを反省も改めようともしないのか、と疑問に思うようなことが続いていたのだが、彼等はいずれも硬直マインドセットが支配的な人たちであると仮定すると、すべての言動に一貫性を見出すことができるようになった。これがわかれば、それらの人々への対処法も考えやすい。この意味で、本書は、私自身にとって人間を理解する力を一つ引き上げてくれた(有力な手段を一つ増やしてくれた)と思っている。



 硬直マインドセットの人は、自分が他人からどう評価されるかを気にするのに対し、しなやかマインドセットの人は、自分を向上させることに関心を向ける。(p.21)


どうしてあの人はあれほど人からの評価ばかりを気にするのだろう?と疑問に思うことが今まで何度もあったが、その謎が氷解した。

ここの対比はマスロー的な欲求の区分を援用すると、その人にとって最も重要な種類の欲求が、承認欲求である場合と自己実現欲求である場合と見ることができて興味深い。もっとも、マスローの理論は実証されていないのでそのまま受け入れることはできないが、欲求の種類を区別して描き出す際には参考にはなる。



 化学の授業がはじまった当初は、大多数の学生が意欲満々だった。ところが学期の途中で異変が生じた。硬直マインドセットの学生は、すんなりうまくいっている間だけは関心が保たれていたが、難しくなったとたんに興味もやる気もガクンと落ちこんだ。自分の賢さが証明されないと、面白く感じられないのである。(p.34)


これはまさに私の職場で発生していた事象であった。ある硬直マインドセットの人が、それまでは上述のように自己自身の能力や実績について実力よりはるかに高い自己評価を下していたため、好調に仕事をしていたが、管理職から業務上の問題について指摘を受けたり、人事評価で低い評価が下されると、途端にやる気を失い、その低いモチベーションのまま仕事を続けていた人がいた。

成果主義的な人事評価制度は世の中に一定数いる硬直マインドセットの人(彼らは過剰に高く自己評価を下す傾向がある)のやる気を殺ぐ制度だと言える。また、この種の人の扱い方として、不当に高い自己評価を傷つけないように(勘違いをひどくさせないがそのまま維持できる程度に)応じていく方が、事実を突きつけるよりはマシなやり方なのではないか、とも思う。



(前略)近年、「失敗」の意味あいに変化が生じている。私は失敗した、というひとつの出来事に過ぎなかったものが、私は失敗者だ、というアイデンティティにまでなってきているのだ。とりわけ、硬直マインドセットの人の場合にはその傾向が著しい。(p.47)


新自由主義の蔓延とこの引用文で指摘されていることとは関係があるのではないか。

新自由主義のイデオロギーと硬直マインドセットは相性が良いように思われる。硬直マインドセットから見て、「能力がある人」は、新自由主義では勝者として競争に勝利し、より多くの富と権力を得た勝利者である。同様に「能力のない人」は競争に敗れた敗者である。そして、新自由主義を推進したり支持する人は、自分を前者(勝利者側)だと仮定している

(しなやかマインドセットが信じる)「成長」という要素は、新自由主義にもないわけではないが、経済全体の成長や企業の収益の増加といった何らかの行為の複合体の「結果」が大きくなることとして組みこまれているだけであって、個々人の能力の成長については、新自由主義の考え方の大本にではなく、批判から理論の本体を守るための副次的な部分に、「敗者にもセーフティネットとして職業訓練などによる再挑戦の機会を与えればよい」といった議論などに多少組み込まれに過ぎないように思われる。



 試験に落ちた学生や、勝負に負けた運動選手は、否応なしに自分のヘマを思い知らされる。ところが、権力を手にしているCEOは、自分は正しいと思っていたい欲求を、たえず満たしてくれる世界を作り上げてしまうことができる。どんな警告サインが出ていようとも、自分は完璧だし会社は順調だという耳を喜ばせるニュースだけで自分を取り囲んでしまうことが可能なのだ。これこそが、前にも述べたCEO病――硬直マインドセットの人が罹りやすい危険な病である。(P.169-170)


安倍政権とトランプ大統領が想起される。安倍政権下における森友・加計の恣意的な優遇とそのための記録の不開示・隠蔽とそのための改竄という一連の問題や南スーダンとイラクの日報の扱いなどは、いずれも官邸(少なくともその中枢)が全体としてCEO病であるが故に起きたものだと見ることができる。また、トランプ大統領については自分に都合よく作り上げたフェイクニュース(オルタナファクト)を垂れ流し続けていることだけを見るだけでも十分だろう。

いずれも不都合な事実に向き合わずに目を逸らし続け、都合の良い事実に書き換えて(作り変えて)しまおうとしている。日本の自称「保守」とされる反動勢力が与する「歴史修正(改竄と言う方が正確だろう)主義」(慰安婦問題や南京事件や侵略行為の有無や程度について過小評価しようとする無理のある言説)にも、これは共通している。


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