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アヴェスターにはこう書いている?
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ダニエル・J・シーゲル、ティナ・ペイン・ブライソン 『子どもの脳を伸ばす「しつけ」 怒る前に何をするか――「考える子」が育つ親の行動パターン』(その2)

 親として、一貫性は持ちたいが、頑固にはなりたくない。
 ……(中略)……。
 けれども頑固さは、心強さや信頼性とは関係ない融通がきかないということだ。そのせいで親は必要なときに歩み寄ったり、ふるまいの裏側にある背景や意図を見たり、例外にしてもいいときを見分けたりできなくなる。
 親が子どもに対して頑固になってしまう大きな理由の1つは、恐れにもとづく子育てをしているからだ。1度の食事で炭酸飲料を飲むのを許してしまえば、坂を転げ落ちるように、子どもが一生、朝食にも昼食にも夕食にもマウンテンデューを飲むようになるだろうと心配する。だから一歩も譲らず、炭酸飲料を禁止する。(p.227-228)


この一貫性を持つべきだが頑固になってはいけないという考え方は非常に参考になった。確かに、例外を認めることを拒む融通の利かない育て方をしているとき、その背景には坂を転げ落ちるように落ちて行くことへの恐れがあるように思う。実際に、子供の側も例外を認めることによって、「あのときは例外を認めてくれたのに」という要求が強まるということもあり得るし、その場合、親の側もその都度適切に説明できるかどうか試される。

興味深いのは、子育てだけでなく、行政などが何かの制度を杓子定規に硬直的に運用している場合など、あるルールを頑なに例外を認めようとしない姿勢をとる場合、ルールを運用する側の人が同じような恐れを抱いていると考えられる点である。



 同じように、子どもが親の期待に沿わないふるまいをしたとき、いちばんいい方法は、期待に沿うふるまいを練習させることだ。
 子どもに対応をくふうさせるのも、スキルを養ういい方法になる。「ごめんなさい」と言わせるだけでは、カッとして投げつけて折れた妖精の杖は直らない。お詫びの手紙を書かせて、お小遣いで新しい杖を買わせるほうが、子どもはしっかり学んで、賢い判断や共感を養えるかもしれない。(p.232)


なるほど。このやり方をするには、常に、「どのようにすれば練習させられるのか」を考えることが必要だ。



 「感情を受け入れる」とは、切り替えのあいだ、親は子どもに、自分の気持ちがよくも悪くもなければ、適切でも不適切でもないとわからせる必要があるという意味だ。感情は、単純にそこにある。怒っても、悲しんでも、何かを壊したくなるほどイライラしてもかまわない。けれど、何かを壊したい気持ちになるのはよくても、実際にやっていいということにはならない。問題は、自分のふるまいがいいか悪いかを決める感情の声を聞いて、何をするかだ。(p.261)


感情自体は、それが悪い行為につながりやすいものや良い行為につながりやすいものなどがあるにしても、それ自体で良いものでも悪いものでもなく、単純にそこにあるものだと理解すべきだという考え方は、感情に対して適切に対処しようとする人にとって参考になるように思う。自分自身と距離をとること、距離をとることへの習熟(能力)は、客観的になるために必要なスキルだが、このような見方で自身の感情の状態を捉えるように訓練することは、「距離の感覚」を養う上でも役立つのではないか。



 けれどそれと同時に、子どもには、自分のなかで何が起こっているのか、その経験にどんな影響を受けているのかを観察できるようになってほしい。脳の研究によると、人は実際に、2つの別々の回路を持っている――経験の回路と、観察の回路だ。それぞれが重要な役割を持っていて、2つを統合すれば両方を育て、結びつけていける。子どもには、気持ちを感じて感覚を受け取るだけでなく、体がどう感じているかに気づき、自分の感情を目撃できるようになってもらいたい。自分の感情に注意を払えるようになってもらいたい。自分を調べて、心の内側に気づいてから問題を解決してほしい。
 この男の子はそうした。
 経験を心で感じながら、それを観察した。そうやって、起こっていることを自分のものにした。経験しながら観察できる目を持った。(p.296)


経験の回路、観察の回路、それらの統合というこの論点は、私には河本英夫のオートポイエーシスの議論を想起させた。

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