アヴェスターにはこう書いている?
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若林滋 『屯田学校 北海道教育の礎』(その1)

 最初の教育所が設けられた二十四軒は、真宗東本願寺の北海道進出に伴って新潟から招致した移民たちが入植していた。東本願寺は江戸時代を通して徳川幕府と誼を通じ、かたや西本願寺は薩摩、長州と接近していた。幕府と薩長が政治的思惑でそれぞれ大宗派の本山を利用したのである。維新に際し京都守護職の会津藩主松平容保が西本願寺を懲罰しようとし、会津善竜寺住職の弁護で思い止まった。維新後、今度は薩長政府が東本願寺の懲罰に動いた。
 「本山危うし」――東本願寺の嚴如法王はじめ一山あげて勤皇の姿勢を表した。北海道開発と移民の奨励もその一環だった。明治3年(1870)7月、現如法嗣は開拓御用掛一行180余人をひきいて函館に上陸し、胆振の長流―中山峠―札幌間108キロの本願寺道路開削を指揮した。(p.16-17)


本願寺が植民地支配(北海道に限らず台湾や朝鮮半島、満州など)で果たした役割は興味深い。北海道の開拓に関してはここで述べられているような動機が働いていたということは押さえておいてよい。



 「学制」発布後、開拓使は北海道が開拓の緒に付いたばかりで府県並みの学務執行はできない、と普通教育の特例を認めるよう政府に要請、認められた。この特例は昭和16年(1941)国民学校になるまで続いた
 これが明確になるのが、開拓使が13年から実施した「変則小学校制度」である。正規の小学校が満6歳から満14歳までの八ヵ年としているのに対して、四ヵ年で卒業できるようにした。正規の小学校は札幌第一小学校(後の創成小学校)など全道25の公立校のみとし、他は全て変則小学校として開拓地の実情に則した初等教育を実施した。(p.34)


随分長い間、内地とは異なる運用がされていたことに驚く。

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