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アヴェスターにはこう書いている?
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前田健太郎 『市民を雇わない国家 日本が公務員の少ない国へと至った道』(その3)

無駄な財政支出は、既に決められた目標を執行する「行政(administration)」よりも、具体的に目標を判断する「政策(policy)」において生じるという。(p.206)


90年代末から00年代頃までは「行政の無駄」ということがよく言われた。最近は以前ほどの勢いがなくなっているが、私見では安倍政権によるやりたい放題の権力の私物化(支持率維持のための財政支出拡大とその結果としての政府の債務の増大)の結果、しばらくしてから、またこの考え方が流行り出す可能性が高いと見ている(2020年オリンピック後不況の頃か?)。

行政を効率化することで無駄を省き、費用を捻出するといったような愚かな考え方(というか行政や財政に対する無知に基づく思い込み)に対して、本書で紹介しているこの考え方は、適切な批判対象を提供してくれていると思う。本来的に取り組むべき問題は、行政の非効率性ではなく、政策決定の実質的な非効率性(間違った目標に対して支出することによるロスや目標に対して過大または過少な額の支出をするために生じるロスなど)こそが問題なのである。(もちろん、これは行政の活動に非効率性がないということを意味しない。ここ(administration)を改善しても費用はさほど捻出されないということである。)



 この過程を振り返ると分かるのは、サッチャー政権が僅か数カ月間の世論の変動によって誕生したことである。有権者の重視する争点や党首に対する満足度の推移を見れば、公務員のストライキに対する有権者の批判が、そのまま労働党への批判につながり、投票行動に結びついたと考えるべきであろう。つまり、有権者の求める政策を掲げたサッチャーが勝ったのではなく、選挙直前の不運に見舞われたキャラハンが負けたのである。近年のアメリカの選挙研究では、有権者の多くは政権の業績を全体的に判断するのではなく、選挙の直前に起きた出来事に基づいて政権党に投票するかどうかを決めているという議論が行われている(Bartels 2008, 99-104)。1979年のイギリスの総選挙は、まさにそうした有権者の近視眼的投票によって大勢が決した事例であったといえよう。その選挙結果は、キャラハン政権下の3年間の経済政策に対する有権者の業績評価投票に基づくものではなかったのである。(p.220)


サッチャー政権と言えば新自由主義改革が真っ先に思い浮かぶが、この政策に対する支持があって政権が成立したわけではなく、敵失により獲得した権力を利用して新自由主義に基づく政策を実施しようとしたに過ぎない。

多くの有権者は選挙の直前に起こった出来事に基づいて政権党に投票するかどうかを決めるというのは、まったくその通りだと思われる。安倍政権が選挙から遠い時期に好き勝手なことをやり、選挙が近づくと事を荒立てないようにし、自分の有利な時期を選んで恣意的に解散権を違法に行使することで議席数を確保し続けているという状況は、まさにこの考え方のとおりに投票行動が行われていることを示している(対照群がないため完全な立証まではできないが)。

私の眼には、安倍政権に有権者たちが操り人形として操られているように映るが、大衆に賢くなれ(より正確には、大局的に全体を総合して考えろ)などと言ったところで(それ自体は大事なことだが)ほとんど効果がないこともまた事実であり、やはり立憲主義に基づいて権力者たちに恣意的に権力を使わせないルールをしっかり作り、それを関心を持つ人びと(メディア)が監視していくということが重要である。



 本書では、政府による公務員の給与水準のコントロールを難しくする公務員制度が、結果として公務員数の抑制を促したと論じた。しかし、一度開始された行政改革が今日まで持続してきたメカニズムについては、必ずしも重点的な考察を行ったわけではない。そこで、試論的にではあるが、ここでは行政改革がさらなる行政改革の呼び水となるメカニズムについて見通しを示しておきたい。
 そのメカニズムとは、公務員数の削減によって公共部門の相対的な給与水準が上昇し、民間部門の不満を生み出すというものである。一般に、行政改革が行われると、業務の効率化のために人員が削減され、あるいは民間委託によるコストの削減が図られる。この時、削減の対象となるのは、定型化され、置換の容易な業務である。そうした業務に従事する職員の賃金は低いことが多い以上、公務員の数が減るほど一人当たりの人件費は高くなる。……(中略)……。
 こうしたスケッチは、試論の域を出るものではない。しかし、この論理に従えば、一般市民が公務員の給与の平均にしか目配りしない限り、行政改革による「無駄」の削減は公共部門に対する市民の不満を逆に高めてしまう可能性がある。(p.263-265)


興味深い仮説。

本書はこのことも踏まえて人事院勧告制度を団体交渉制度へ改めるべきだという立場だが、これに対しては、比較の対象を変える(例えば、業務内容が相対的に近いと思われる企業の企画部門や総務部門と一般行政職員の給与を比較する)ことによって一般市民が公務員の給与は平均値による見かけほど高くないというコンセンサスを作るなど、適切な情報や判断基準を示すことによって悪循環を断つということも必要ではないか。少なくとも、労働運動が十分に力を持てない状況を政府や与党が長年かけて作ってきたという歴史的経路の中で団体交渉制度を導入すべきだという判断はフェアではないし、変化の規模の割に必要な労力も相対的に大きく、そのような所に政治的なリソースを割くよりは人事院勧告制度は維持したまま別の手段を講じる方が効果的かもしれない。

というのは、本書では人事院勧告制度の意味が制度が出来た当初と高度成長期以後で変わったことが指摘されているが、今後、民間給与の上昇が望めない低成長時代においては、再び人事院制度の持つ意味が変化するはずだからである。それは給与の上昇もほとんどさせないが政府の都合による給与引き下げもできない制度であり、これ以上給与が上がらないのであれば制度を据え置いてもそれほど大きな問題にはならないとも考えられる。(日本の公務員の1人当たり給与は他国と比べて平均すれば給与が高いようだが、同じ業種で見た場合にどうなのだろうか?この水準が特別に高いのではない限り、給与水準自体を引き下げる必要性があるとは言えないのではないか。)
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