FC2ブログ
アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

前田健太郎 『市民を雇わない国家 日本が公務員の少ない国へと至った道』(その2)

2009年に経済危機に陥ったギリシャの事例のように、公共部門の肥大化が財政危機の原因として指摘されることもあるが(村田2012,272-276)、先進国全体を見れば公務員数と財政の健全性の間には特に見るべき相関関係はない。(p.45-46)


これは、財政が悪化すると公務員バッシングが始まりやすいが、そうした非難は大抵的外れだということを意味する。90年代末から00年代前半頃にはこうした風潮が非常に強かったが、当時の公務員バッシングも完全に的外れなものだった。当時の私がこの類の的外れな非難に対して行った批判は、「財政の赤字は確かに急激に膨らんでいるが、それと並行して公務員の人件費が急激に増えたという事実はなかったのであり、そこには問題の原因や本質は関係がない」というものだった。本書で指摘されている事実関係も当時の私のような見方を補強するものと言える。



また、民間企業に対する強力な解雇規制による正社員の保護は、長期雇用による企業特殊的な技能の蓄積を前提とする雇用システムを生み出すことを通じて、逆説的にではあるが、出産と育児の負担を強いられるために長期勤続の難しい女性を労働市場から締め出す働きを持っていた(Estévez-Abe, Iversen and Soskice 20011)。(p.48)


公務員数と女性の雇用創出に関係があるという本書の指摘は今までほとんど考えたことがないテーマであり、新鮮だった。



 公務員数を説明するという課題には、戦争や革命などの政治現象を説明するのとは異なる独特の難しさがある。その難しさは、問題設定のスケールの大きさでもなければ、その事実の反直観性でもなく、それが「事実」であるということ自体に由来している。一見些細な言葉遣いの違いであるが、公務員数は事実であるのに対して、戦争や革命は出来事である。そして、一般的に事実は出来事よりも遥かに説明することが難しい。出来事にはそれを直接引き起こす人間が存在するのに対して、事実にはそのような観察対象が明確には存在しないからである。この問題に取り組むには、説明の対象である公務員数という事実を、何らかの出来事の結果として記述し直さなければならない。(p.51)


この事実と出来事の区別は本書の方法論に特徴的なところである。出来事はそれを生じさせる行為やコミュニケーションなどが観察できるのに対し、事実は現にそうであるということが観察可能なだけで、それを成立させている出来事やコミュニケーションは必ずしも観察できない。個々の公務員の採用という出来事は観察できるだろうが、その出来事を観察しても公務員数が少ないという事実を説明することはできない。本書は公務員給与制度や国際収支の制約下で60年代という高度成長期に欧米諸国よりも経済的な水準が低い段階で政府が公務員数の抑制という決定をしたことにその原因を求める。



1960年代半ばまで、外貨準備は「国際収支2000億円の天井」に沿って推移し、1968年以降は急速に上昇している。これは、日本の輸出が伸びた結果、国際収支が常に黒字となったことを示している。注目すべきなのは、外貨準備高が急速に伸長した時期と、日本の国債発行額が急速に伸び始めた時期が、ほぼ完全に一致しているということである。通常、財政赤字は国内景気の好転による輸入の増大を通じて外貨準備高の減少をもたらすはずである以上、こうした外貨準備の蓄積が、日本の財政状況の変化の帰結だとは考えられない。むしろ、輸出部門が強化されたことによって、財政赤字が外貨準備高の払底へと直結しなくなったことが、日本の財政赤字の拡大を可能にしたのだといえよう。逆に言えば、それ以前の日本では財政赤字の余地が外貨準備高によって制約されていたのである。(p.103-104)


この時期から赤字国債(65年の発行の後は75年以後)を含めた国債の発行額が急激に増えていき、財政の規律がなくなったことは知っていたが、これが国際収支の黒字と連動しているという指摘は参考になった。なぜこの時から財政規律が緩くなったのかという政府(当時の大蔵省?)の判断の理由が推察できるからである。



1955年に春闘が始まり、1960年代に民間部門で急速な賃金上昇が生じると、その効果は人事院勧告を通じて公共部門に波及した。官公労組の賃金攻勢を封じる仕組みだったはずの給与制度が、逆に民間部門に合わせて公務員の給与を上昇させる仕組みに変化したのである。(p.149)


人事院勧告の制度の機能が変化したという指摘は興味深い。当初は公務員の労働組合の運動を封じるための手段だったものが、民間給与の上昇により、公務員の給与を上昇させる機能を果たすようになったということである。公務員の労働基本権の問題をどう考えればよいのか(労働三権の一部が制限されていることについて回復すべきか人事院勧告の制度が機能すればよいのか)という点について、私は今まで答えが見いだせなかったが、本書によって得られた歴史的な見通しは、この問題を考える際の参考となるように思われる。



 第二次世界大戦の終結後、大陸ヨーロッパ諸国が軒並み経済的繁栄を謳歌する中で、イギリスは長きに渡る低迷を経験することになった。イギリスの1950年から1973年までの年平均GDP成長率は僅か2.3%であり、1960年には一人当たりGDPでスウェーデンやデンマークに追い越されただけでなく、フランスや西ドイツにも後れを取るようになっていた。(p.192)


技術などの模倣ができたり、大戦後の被害の復興による「成長」があったり、という国とイギリスの置かれていた位置は全く異なることを考えると、成長率が2.3%というのは「僅か」と言えるようなものではなく、十分高い数値だと考えなければならない。ピケティが言うように、高度成長はキャッチアップする時に一時的に生じる現象でしかない。


スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/1252-3d302a29
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)