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アヴェスターにはこう書いている?
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赤江達也 『矢内原忠雄 戦争と知識人の使命』

 神戸中学校の校風は忠雄に大きな影響を与えた。創立以来の校長・鶴崎久米一は、クラーク博士が教育の基礎を築いた札幌農学校の二期生で、内村鑑三、新渡戸稲造と同級生であった。鶴崎校長の指導によって、神戸中学校には「質素剛健」「自重自治」をモットーとする校風ができあがっていた。「自重自治」とは、クラーク博士が一期生に説いた「紳士たれ」という教えを意味していた(二期生が入学したときには、クラーク博士はすでに帰国していた)。(p.6)


矢内原は札幌農学校の二期生と縁が深いが、中学校時代から既に縁があったとは興味深い。また、札幌農学校をはじめとする明治初期の高等教育機関の卒業者は、官僚になる以外には教育者としての役割が大きかったと考えられるが、そうした社会の傾向も垣間見えて興味深い。



新渡戸の植民政策講義には、元植民地官僚らしい実際的なところがあった。だが、その基調にはリベラルで人道主義的な立場があり、台湾の原住民討伐について語るときには講壇を拳でたたき、激しい怒りをあらわにした。矢内原が四年生のときに取った講義ノートの結論部には、「植民は文明の伝播である」という新渡戸の言葉が記されている。(p.26)


東京帝大での講義。新渡戸の植民政策学の講義がどのようなものだったのか興味がある。できるものなら私自身がその講義を聴いてみたい。「植民は文明の伝播」というのは、なかなか含蓄がある言葉であるように思われる。いろいろな意味で解釈しようと思えばできる。新渡戸はどのような意味でこれを語ったのか知りたい。



 だが、『帝国主義下の台湾』は台湾の青年読者から熱烈に支持された。この書物は刊行後すぐに台湾総督府によって台湾への持ち込みが禁止される。そのため、内地へとやってきた台湾人の留学生たちはこの本をむさぼり読んだといわれる。
 台湾の青年たちから強く支持された理由としては、矢内原が台湾議会設置請願運動に共感的であったこと、長期的には植民地の独立を支持していたことが挙げられる。しかし、より重要なのは、台湾の資本主義化を論じる『帝国主義下の台湾』の議論が「台湾」という想像的な共同性とその発展の可能性を示唆していたことにある。
 日本統治下の台湾では、議会設置による自治の推進か、あるいは中国への祖国復帰かといった複数の選択肢のなかで、「台湾」という共同性への想像力が生じつつあった。『帝国主義下の台湾』は、そのような「台湾」の想像力と共鳴し、それを触発する役割を果たしたのである。(p.74-75)


日本統治下で「台湾」という想像的な共同性についての意識が芽生えたということはしばしば指摘されるが、矢内原のあの名著もそうした想像力と共鳴し合っていたというのは、なるほどと思わされた。



 岩波茂雄は矢内原の言論活動を高く評価していた。そして、矢内原が大学を辞めた直後には、その自宅を訪れて金一封を置いていった。岩波は矢内原事件の際に発禁となった『民族と平和』の発行人であったため、警視庁や検事局に呼び出されている。しかし、そうした言論統制のなかでも、岩波は矢内原に執筆を依頼しつづけた。その象徴が岩波新書である。
 1938年11月、岩波書店は、岩波新書のシリーズを立ち上げる。これはその当時イギリスで流行していたペリカン・ブックスを参考にしたもので、日本における「新書」の判型のはじまりとなる。その岩波新書の第一冊目・第二冊目として選ばれたのが、矢内原の翻訳によるクリスティーの『奉天三十年』(上・下)であった。この本は、奉天(瀋陽)で活動したスコットランド人伝道医師の自伝である。そのような本を矢内原の翻訳で出版することは、矢内原への支持と時局への抵抗を意味していた。(p.145)


興味深いエピソードであるだけでなく、新書というものがどのようにして生まれたのか、どのような意味があったのか、ということも考えさせられる。そして、それは現在の新書がどのような役割を果たすべきかということまでも考えさせてくれる。



 矢内原は戦中に大学を離れていたこともあり、学問上の弟子は少ない。ただ、戦後の東京大学には、南原のほかにも、大塚久雄、西村秀夫、藤田若雄、前田護郎といった無教会キリスト者の人脈が広がっており、学生たちにキリスト教的な感化をおよぼしている。とくに大塚史学で知られる大塚久雄の存在は、南原・矢内原とともに戦後の知的世界における無教会キリスト教の名声を大いに高めることになる。(p.209)


大塚久雄は無教会派だったのか。知らなかった。矢内原と大塚にはどのような接点や関係があったのかが気になる。

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