アヴェスターにはこう書いている?
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水谷周 『イスラーム建築の心――マスジド』

 90年代に入って建立されたマスジドはほぼ10カ所だが、2000年以降のそれは35カ所ほどに上る。90年以前はほぼ10カ所であったので、これで約五倍増という計算になる。2000年以降の特徴としては、それまでは関東中心であったのが、中部地方に多数できて、さらには北海道(札幌写真3、小樽)、九州(別府、福岡)、四国(徳島、新居浜写真8)と全国に広がったことである。(p.35)


日本では2000年以降にモスク(マスジド)が多数建てられるようになったことがわかる。何故なのか?興味がある。



 それよりもここで指摘したいのは、モスクという名称にこだわっているという点である。これがイスラームに対する侮蔑後の起源を持つと考えられることは、序章で述べた。そうでなくても、モスクは欧米語である。したがって○○モスクと称することは、例えば法隆寺という代わりに、法隆テンプルといっているようなものだということになる。(p.37)


著者はイスラームの礼拝所を「モスク」と呼ぶべきではなく、「マスジド」(あるいは「礼拝所」)とするべきだと考えているというのは、本書を貫くスタンスである。

モスクという言葉が仮に最初は侮蔑後だった言葉であったとしても、大事なのは、今現在の人々が、この語に侮蔑的な意味合いを感じるかということの方が遥かに重要であるように思われる。かつて侮蔑後だったもののニュアンスが反転している語というものも世の中には多く存在する。また、ムスリムたちも特に問題を感じずに「モスク」という言葉を使っているところなどからも、この語がかつて侮蔑語として使われていた語に起源をもつとしても、そのことを以て使うべきではないとするのは過剰反応であるように思われる。



内装では、鍾乳石のように垂れ下がる多数の曲面がドームの内面一杯を飾る、ムカルナスという構造になっている。その人間業とも思えないような飛びぬけた美しさで有名だが、この技術は元々イランを原産地としているので、13世紀モンゴルの襲撃によって逃げてきたイラン人たちが作ったのではないかと考えられる。(p.100)


一見すると、この記述には奇妙な所がある。ムラービト朝(11~12世紀)の建築について説明するに当たり、13世紀のモンゴルによる支配によって説明しているからである。ムラービト朝期に最初に建てられたモスク(マスジド)が、その後、再建や増築されたということなのだろう。

いずれにせよ、モンゴルの支配とイラン人などの移動による建築技術や建築意匠の伝播というのは興味深い問題である。



 そして各地で見られる光沢のあるタイル装飾こそは、イラン趣味の最たるものだと言えるだろう。それは肥大化してきた正門やドームなどを飾るのに必要であったと同時に、逆にタイル装飾を見せるためにそれらが巨大化してきたとさえ思える。各地の仕事ぶりや仕上がりを比較すると、あまりに似ていることが指摘され、同じタイル職人のチームが各地を回って作業にあたったのではないかと推察されている。(p.125)


イル・ハーン国に創建されたモスク(マスジド)についての記述だが、正門やドームの巨大化とタイル装飾との相関関係についての指摘は興味深い。この相関関係について検証することは難しいだろうが、いずれにせよ、両者が相俟ってイランの様式の建築の美を形作っていることは間違いない。



少し皮肉のように聞こえるが、この時期のマスジド建築にはセルジューク朝時代に比べてそれほど構造的に新規なものはなく、むしろ従来のものを踏襲したにすぎず、それを装飾芸術がカバーしているという風に評する人もいるくらいである。
 第五代君主アッバース一世(1588-1629年統治)の命により1612-1630年に建設されたマスジド・アルイマーム(在イスファハーン)写真38は、この時期の代表的なものである。シャー広場に臨む形で建造されたが、そのシャー広場そのものが、北京の天安門広場か、パリのコンコルド広場のように、国家の威容を示すために造られたものであった。(p.126)


サファヴィー朝の建築についての記述より。イランのイスラーム建築の最盛期とされるサファヴィー朝建築に対し、本書はあまり高く評価したがらない傾向がある。初期の素朴というか簡素なモスクを著者が好んでいることがこの点に反映している。著者にとっては信仰者として祈りやすい、祈りに集中できる、そういった建築が好ましいと評価しているためであり、イランの様式などはやや華美だと感じているように見受けられる。

とは言え、この時期の建築には構造上の新しさはないという指摘は興味深い。また、シャー広場(イマーム広場)が国家の威容を示すために造られたというのは妥当な指摘である。

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