アヴェスターにはこう書いている?
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内藤辰美、佐久間美穂 『戦後小樽の軌跡 地方都市の衰退と再生』(その2)

 明治中期になると高島は次第にコミュニティとしての要件を備えていく。「明治17年11月、祝津学校分校として高島学校が発足、この年にはまた高島墓地も現位置に設定、高島稲荷(元禄3年)、祝津恵比寿神社(安政3年)の建立や寺院(正法寺―明治初年色内庁、浄応寺―明治13年手宮裡)の開山(同上:108-109)があった。墓地の設立はここを郷土とする人々が多くなってきたことの表れである。そして、「この頃、高島、祝津も移住が相次ぐ。高島へは越後(新潟)を主として越中(富山)、加賀(石川)から家族を挙げて移住・定着する」人が増えてきた。(同上:108-109)。(p.342)


祝津小学校は平成25年(2013年)3月31日で閉校となっており、学区としては高島小学校がかつての祝津小学校の学区を組み込むような形であったと思うが、歴史的には祝津学校から高島学校が出てきていたというのは興味深い。

墓地設立がこの地を郷土とする人々が増えてきたことの反映というのは納得。



 高島における越後盆踊りは内地から北海道の地、高島に移植された文化である。『新高島町史』は記述する。以下、『新高島町史』に目を向けてみることにしよう。「明治初期の頃から現在の新潟県北蒲原郡北部郷地方の村々は高島に移住者を出していた。特に藤塚浜では村の三分の二が焼失するという大火があり、それを契機に大量の移住者が現れた。現在、高島に多い、須貝・本間・小林という姓はその先祖は藤塚浜からの移住者である。(p.343)


北海道への移民について、どのような人々がどのような時期に移動していたのかというのは興味を持っているテーマの一つだが、火災で集落が被害を受けたことが契機となった地方もあったということか。こうした事例はどの程度あるのか?



越後盆踊りの歌詞は恋愛や性に関する内容を含んでいたために第二次世界大戦中は禁止された歴史がある。(p.350)


このことはあまり語られていないように思う。



高島は文化活動の盛んなところでもある。文化活動の拠点が高島町会館。この建物は町民の寄付と市の補助金で建てられた。土地は旧高島小学校跡地。この土地は一度市に寄付されたあと、市はここに支所をおいていたが、支所が廃止されてからその跡地に現在の会館を建設した。(p.351)


現在の高島会館が竣工したのは平成11年(1999年)のことだが、この場所が旧高島小学校の跡地ということか。現在、敷地に隣接する場所に広い駐車場があるが、ここは高島保育所があったという情報もある。斜め向かいには旧高島町役場の庁舎もあることから、一時期は高島という町の中枢をなす場所だったと言えそうである。今の現地は、旧庁舎と会館の存在によって辛うじてそうした面影を残しているものの、それ以外にはそのように思わせるような要素はほとんどないように思われる。



小樽市は日本資本主義と小樽市がおかれている歴史的位置を冷静に分析し、向かうべき方向を確認しなければならない。一時的な誘惑に駆られて小樽市の発展に馴染まない政策を採用してはならない。私見を言えば、話題になった「カジノ」は小樽の歴史にも現状にも馴染まない。カジノの風景に最も合致するのは新自由主義である。小樽市はむしろ新自由主義と対極にあってその存在を訴えることができる都市である。これからの日本は、そして小樽市は、一時的な発展よりも中長期的な安定的発展を志向する以外途はない。(p.381)


カジノを小樽市に誘致することには反対であり、それは小樽の歴史にそぐわないという主張には共感するが、小樽が明治期から急速な発展を遂げて最盛期を迎えるまでの経過はブローデル的な意味での「資本主義」(国家と資本が結び付いて相互の権力を高めていく過程)の産物という側面が極めて濃厚であったという点を見落としてはならないように思われ、カジノ誘致に積極的であろうとする人びとの考えは、発想の上では、その時代の流れと同じ圏内にあるということに留意すべきである。

むしろ、「国家」側が小樽に資源を割く可能性が当時よりも遥かに期待できないため、誘致には成功しないだろうし、客観的に成功する条件が不足しているため誘致に成功した場合には経済的に期待したような成功は得られないだろうという見通しを持つことが重要であるように思われる。そして、経済的にカジノが成功する条件がどのように失われているのかということを的確にまとめて説明することが必要であろう。



官僚群の機能は国家、都道府県、市町を貫徹する。そしてそれは過度といってもよいほど顕著である。その点に留意していえば、単純に選挙のような表面的・形式的な制度の普及をっもって日本を民主国家と断定することには慎重でなければならない。この国の政治がどのように動かされているのかを突き詰めた上でなければ民主主義について論ずることができない。民主主義や民主国家を論ずる場合には、国民・政治家の憲法・法律の遵守意識、委員会等議会運営の在り方、三権分立の実態、投票行動の実態等々が検討課題として存在するであろう。そうしたことを含めて「政治運営の主体は誰か」という点の確認なしに、民主主義を論じることはできない。(p.395-396)


選挙で政治家を選んでいるという形式的に代議制民主主義をとっているというだけで、その国が民主的であるとは言えないというのはその通りである。ただ、ここでの文脈では官僚が実際に行政を運営しており、それが国民の意見を反映していないのであれば民主的とは言えないといったことを言いたいように見えるが、この議論は私に言わせれば90年代頃の議論であり、もう古い。

現状の日本はそんなことが問題なのではない。官僚機構は大規模な組織には不可欠なものであり、その意味で普遍的な現象である。官僚機構の活動が逐一、個々の人々の意見を反映すると考えるのはナイーブであり、そのようなことはあり得ないと前提しなければならない。むしろ、代議制民主主義とは委任と責任の連鎖であり、個々の国民の意見とは異なることを官僚が実行していても、官僚が国民ないし国民の代表に対して必要な説明が出来るのであれば、委任を受けるに値すると言える(委任を受けていないとまでは言えない)。90年代の政治改革を通じて実現してしまった現在の政治運営の最大の問題は中央政府レベルで言えば、官邸に権力が集中しすぎており、ほとんど誰もそれに逆らえない仕組みになってしまっていることであって、ごく少数の人間が文字通りやりたい放題のことができる仕組みになってしまっているということである。

森友・加計学園問題、自衛隊の日報問題で、政府がいかに説明をしようとしていないかを想起されたい。説明できないということは、委任を受けるに値するとは言えないということであり、それはすなわち公権力の行使は許されないということであり、それは民主主義の国家なのであれば、内閣は辞職するに値するということを意味する。



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