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アヴェスターにはこう書いている?
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門倉貴史 『ワーキングプア いくら働いても報われない時代が来る』

 「ワーキングプア」が増えることの一番の問題は、一度「ワーキングプア」に陥ると、構造的にその状況から脱却することが非常に難しいという点だ。
 人生には、病気や事故など予期せぬさまざまなリスクがつきまとう。普通の人たちは、こうした万一のリスクに備えて、所得の一部を貯金に回したり、各種の保険に加入したりする。
 ところが、「ワーキングプア」に属する極端に所得水準が低い人たちは、こうしたリスクに十分に備えることができない。
 所得のすべてが生活費に回ってしまって貯蓄がゼロなので、家族の誰かが入院したりすると、突然、極貧状態に陥ってしまうのだ。
 このため、自分の意思とは関係なく、貧困の状態が固定化されてしまう。ある人が一度、「ワーキングプア」になると、アリ地獄のように、そこから自力で這い出すことは非常に難しくなる。(p.24-25、下線は筆者による強調箇所、強調は引用者による。以下同様)



「格差社会」などと言われるが、それが問題であるのは、所得などの相対的な違い(差)があるからではない。こうしたワーキングプアのような人々や失業者が増えているということが真に問題とされるべきものである。

つまり、ワーキングプアの問題やその根底にある労働環境と労働法制の問題こそが、「格差問題」の核心の一つである。もうひとつの核心があるとすれば、それは社会保障の充実、すべての人について最低限の生活水準を守るための制度の充実(これに逆行している昨今の政策の転換)にある。

そして、ワーキングプアの問題の最重要な点を本書はこの箇所で指摘している。最低限度の生活水準すら確保できなくなる危険性が極めて高い、いわば「崖っぷち」の生活を「強いられている」人々がいるということであり、しかも、彼らは仕事がないか、仕事があっても低賃金であるため長時間(しばしばかけもちで)働かねばならず、かつ、それでも貯金すら十分にできない人々がいるということである。そのため、一度ワーキングプアの水準の生活になってしまうと、その地位に押し込められる、ということである。





 国勢調査局の統計によると、米国では、2001年にブッシュ政権が誕生して以来、景気が上向くなかでも「ワーキングプア」の人口が増加傾向をたどっている(図表5)。共和党のブッシュ政権は、政府の役割をできるだけ小さくして、民間の競争を促せば、おのずと経済が活性化して、人々の生活も豊かになるとの考え方に立つ。しかし、貧困を減らすのに市場原理は有効に機能しているとはいえない。(p.31)



ここでアメリカについて言われていることは、そのまま日本にも当てはまる。安倍政権の「上げ潮路線」では、彼らが口先で主張するのとはことなって、貧困を減らすことには繋がらない。むしろ、傷口を広げるだけである。




 「格差社会がもっと広がって欲しいと思ってますね。自分はこれ以上、上にあがることができないから。自分と同じ位置に大勢の人が落ちてくればいいな、と。そういう世の中を望んでいる。たとえが悪いですけど。江戸時代の士農工商制度。僕はずっと社会の最下層にいるんです。格差社会が広がっていけば、大部分を占めた農民が自分たちと同じ位置まで落ちてきてくれるわけだから。結果、僕というダメな存在が目立たなくなる。そうなってくれたらいいなと思っているんです」(p.156)



ワーキングプアの人へのインタビューの部分である。ここで述べられていることは、私が指摘してきたネオリベやネオコンを支配層から遠い人間たちが支持してきた心理的な仕組みを明示している。普通はここまで意識化されていないと思われるが、こうした心理は潜在的にかなり多くの人々に広まっていると私は見ている。このインタビューに答えている人もほぼ当てはまるが、いわゆる団塊ジュニア周辺の世代にこうした怨恨に満ちた心理が広がっていると思われる。

小泉が首相だったとき、支持した層の一つは彼らの世代だったと思われる。また、安倍晋三が官房長官だったとき、北朝鮮への強硬姿勢がウケたわけだが、それも同様の心理である。他人(北朝鮮)を叩くことで、自分たちという「ダメな存在」を意識しなくてすむのである。ナショナリズムの高まりによって「誇り」などということが言われるのも、こうした「ダメな存在」である自分を直視できないためにこだわられている。つまり、この世代のこうした考え方をしている人々は、「ダメな自分」を意識しなくてすむような言説はウケるわけだ。

ネオリベ、ネオコン、ナショナリズムが一部でウケているのは、まさにこうした社会心理的な背景が要因としてあると思われる。(もちろん、そしたものは、世界経済の配置の大幅な変化の中での、衰退地域としての日本列島の経済的政治的な位置がひき起こす、様々な問題へのリアクションの仕方の一つにすぎないのだが。)

いずれにせよ、ここでの引用文は私が思い描いていた理念型をそのまま表現してくれていた点で重要なものである。




本書はワーキングプアという人々が多数存在しており、かなり困難な生活を強いられているという現実を一般に知らしめる啓蒙書としては、必ずしも悪い本ではない。しかし、本書は最後にあるべき政策について語るのだが、それはまりにも皮相的であり、ワーキングプアという現象の紹介の時点で感じられた分析の甘さがより一層酷い形で出ていてがっかりであった。逐一取り上げて批判したいが、そんな時間も余力もないのが残念である。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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