アヴェスターにはこう書いている?
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金子展也 『台湾旧神社故地への旅案内――台湾を護った神々――』(その1)

 大正9年(1920)、水返脚街を同じ意味の汐止街に改めた。水返脚の名前の由来は、満潮時には逆漲がこの地に及び、干潮時には再び海に返るのでこの名前がでたようである。(p.33)


現在の新北市汐止区の地名の由来。中国語というよりは日本語の語順であることからも日本統治時代に改名されたというのも納得。



 基隆はもともと同地一帯に住んでいた台湾原住民平埔族ケタガラン族の族名がなまってケランとなり、漢字で鶏籠があてられた。今日でも台湾語での呼称はこれで呼ばれる。(p.41)


あまり気にしたことがなかったが、基隆も原住民が関係する地名だったのか。



1980年代には台北東部の新市街(東区)の発展により活気を奪われていた西門町は、1990年代後半以降、歩行者天国となり、年配向けの繁華街から若者向けの繁華街への転換が進み、現在に至っている。(p.70)


台北の街と言えば、私などはまず西門町が思い浮かぶところだが、活気が失われていた時代もあったというのは興味深い。



明治38年、台湾における煙草の専売制度が開始される。そして、明治44年には台北煙草工場鉄道駅を設置し、それまで大稲埕での旧台北停車場東側で行われていた請負による刻み煙草の製造を拡大していく。大東亜戦争が勃発すると、紙巻タバコは台湾市場のみならず、華中、華南及び南洋諸島への輸出が拡大し、更なる生産拡大に迫られた。(p.71)


大東亜戦争という表記を何の注記もなしに使っているあたりなど、本書のスタンスには疑問を感じるところがある。

台湾で製造されたタバコは輸出品になっていたということは、砂糖の移出による外貨の流出を防いだことはよく知られているが、それ以外に外貨の獲得にも貢献したということか。(それとも日本が占領した地域の日本兵のために煙草を売ったということか。)台湾のタバコ産業の歴史も注目してみる価値があるかもしれない。



旧台湾総督府専売局台北南門工場

日本統治時代に東南アジアで最大規模を誇った樟脳やアヘンの製造工場であった。明治32年に建設され、最盛期には世界の樟脳の八割が台湾製で占められた。(p.72)


こんなにシェアが大きかったとは驚いた。

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