アヴェスターにはこう書いている?
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越野武 『北海道における初期洋風建築の研究』(その1)

 これら二つの大工事は、幕府および諸雄藩による幕末期の洋風軍事、産業建築の一環を占めるものであり、開港場の居留外国人の建築とは別の、もうひとつの洋風建築導入の系譜を示す事例として位置づけることができる。最初期の洋風建築は、次節以下で述べるように、居留外国人の必要に応じて実現していくのであるが、それは必ずしも一方的なものではなく、日本人の側にも主体的に洋風建築を受入れる契機が存在したのである。
 ただ、函館の場合、建築というよりは土木建設の傾きが強く、その後の洋風建築への影響という点では、過大に評価することはできない。むしろ、これらの大工事を機に函館に集まり、建設をになった請負人や工匠、建設労働者が、その後の函館、さらに北海道の建設活動の基盤を形成したことの方が重要であった。(p.25-26)


二つの大工事とは、弁天岬砲台と五稜郭の建設のこと。設計した建築家というより、多くの人が実際の作業をする経験を積んだことが影響を及ぼすという見方は興味深い。



 函館支庁営繕係は、明治7~9年の中間縮小期をはさんで、前後期に分けられ、それぞれスタッフ構成も一変している。前期では在籍期間の短い者が多く、設計能力をそなえた主体的組織としてはまだ確立していなかったように思われる。確証は得られなかったが、官外の大工棟梁らによる設計関与といったこともあったであろう。それが右に指摘したような、和風要素を混淆させた前期の素朴な洋風建築にあらわれたのではないかと考えられるのである。
 これに対し、明治10年後半以降の支庁営繕組織は、本庁からのテコ入れによって、いちじるしく整備された。それは明治11、12年大火後さらに強化され、復興事業に取りくんでいったのである。あきらかに設計能力をそなえた数名の技術官を擁するようになっており、在任期間の長い、安定した組織に変わっている。また、本支庁間の連携はより密接になっており、建築の設計内容についても札幌本庁からの指示がおこなわれている。「会堂」や公立富岡・弥生学校、博物館第二館で、屋根を札幌器械製柾葺き(またはこれに倣って)としたのは、その一例である。にもかかわらず、全体として札幌とは違った建築の性格を保持したのは、洋風建築に習熟した多くの大工、工匠の存在を前提にできたからであろう。一口にいえば開港場以来の伝統である。(p.68-69)


建築行政に関する組織に着目するのは興味深いアプローチ。

函館支庁の営繕係が変化したことで函館の洋風建築が変化した(素朴な和風要素混在からより本格的な洋風建築へと変化しつつも、開港場以来の伝統を受け継ぐ職人たちによって、装飾の要素が少ない札幌の官製洋風建築とも異なる装飾的な要素を持つ建築が特徴となったという。組織の変化と建築のスタイルの連続性というのは参考になった。



 開拓使の建築へのアメリカの影響では、もうひとつ、明治10年以降札幌農学校のアメリカ人教師によってもたらされたバルーン・フレーム構造がよく知られている。
 バルーン・フレームballoon frameは、別名Chicago constructionが示すように、1830年代のシカゴで発明され、中西部フロンティアにひろがって、19世紀後半には「全米住宅建設の60ないし80%」を占めるにいたった。(p.136)


バルーン・フレームについてはもう少し詳しく知りたい。



半円ポーチのコリント・オーダー吹寄せ円柱に代表されるヨーロッパ様式建築の咀嚼、室内天井の漆喰メダイオンに代表される日本建築意匠の引用、そしてアメリカ風木造建築の技術及び表現という、いわば10年間にわたる開拓使の建築実践の蓄積が集約統合されたのが豊平館であるということができよう。(p.137)


豊平館に欧風、和風、アメリカ風の要素の統合が見られるという指摘はなるほどと思わされた。



つまり、開拓使前期の洋風小屋組構造はまだ未消化の点を残した過渡的な段階にあって、簾舞小休所はその最初期の姿を伝えるものと考えられる。(p.147)


キングポストトラスなどのトラス構造が明治期の北海道の建築ではよく見られるが、初期の頃は和風の手法が残ったものだったという。簾舞小休所(通行屋)はまだ行ったことがないので、是非機会を設けて訪ねてみたい。

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