アヴェスターにはこう書いている?
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阿部謹也 『北の街にて ある歴史家の原点』(その1)

東京の人は自分の育った環境が普遍的だと思いかねない傾向があるが、そのことに気づいたのもこの地にきてからのことであった。
 しかし挨拶で「おばんでございます」ととっさにでてこなかったので、ある老婦人から「『こんばんは』などといわれると冷や水をあびせられたような気がする」といわれ、困ったことがあった。何でもないことのようであるが、北海道に住んでいると日本の社会がゆがんでいることが時によく解った。(p.39)


このあたりの感覚はよく分かる。



 小樽にきて一年経たない内に東京にいたときとは日本の社会を見る目がちがってくることに気づかされたのである。(p.40)


地方から社会を見るのと政治経済文化などの中心地から見るのでは、見えるものは異なる。北海道や沖縄のような旧植民地から見るとき、その差異は特に大きいだろう。



 小樽港を見下ろす高台にある小樽商科大学は、明治43年に小樽高等商業学校として創立され、昭和24年に全国86の新制大学と共に小樽商科大学として設置された沿革を持っている。単科の国立商科大学は現在にいたるまで他になく、かつては仙台以北に人文・社会系の大学がなかったために俊秀が多数集まったところであった。戦前の小林多喜二や伊藤整はいうまでもなく、戦後も特に一橋大学と関係が深かったために多くの著名人が訪れていた。戦前には三浦新七教授や福田徳三教授も講義をしているし、戦後は上原専六、大塚久雄、大塚金之助、中山伊知郎、高島善哉、山根銀二などの諸氏が講義をしている。
 全国の高等商業学校がそうであったように、西欧的合理主義をわが国の商慣行に取り入れようとする目的で創られたのが高等商業学校であったから、学生たちもモダンで、自由の気風にあふれていた。大正14年10月のいわゆる軍事教練反対事件はその良い例であろう。(p.60)


確かに仙台以北には長らく文系の大学や高等教育機関はなかった。東北帝国大学に文系の学部(法文学部)ができたのは大正11年だったが、経済学部は昭和24年になってからであり、北大に文系の学部ができたのは昭和22年のことである。

高商の学生たちがモダンだったというのは、なるほどと思わされる。軍事教練反対事件については、このブログでも『小樽の反逆 小樽高商軍事教練事件』『早稲田大学小史』に言及がある。



あたかも1969年に始まって日本全国を席巻した大学紛争がどこでもこの寮の負担区分問題から出発していたことは象徴的であった。しかも東大や日大などから始まったいわゆる学園闘争は、まさに高度経済成長の中で起こったのである。特に私立学校で学科増設と定員増がすすめられ、特に理工系学生の増加がはかられていた、いわば高度経済成長に合わせて、私学を中心として学生定員が増加し、そのために教育条件が急速に悪化していったことを背景としていたのである。(p.67)


1968年に象徴されるような全世界規模での学生たちの異議申し立ての背景については、待鳥聡史が『代議制民主主義』で指摘しているように、戦後生まれのベビーブーム世代が大学生となり、それ以前の世代が築いてきた代議制民主主義に対する懐疑が要因だという見方がある程度説得的だと考えているが、ここで阿部謹也が言及していることも、関連はあるのかも知れない。他国の状況なども見て妥当性を判断したい。


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