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アヴェスターにはこう書いている?
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丸山真男 『日本の思想』(その1)

 こういうふうに保守勢力でさえ被害者意識をもっているのですから、進歩的な文化人の方はなおさら、マイノリティとしての被害者意識があります。保守勢力も進歩主義者も、自由主義者も民主社会主義者も、コンミュニストもそれぞれ精神の奥底に少数者意識あるいは被害者意識をもっている。それだけ全体状況についてのパースペクチヴが、くいちがっているわけであります。(p.143)



この本が出たのは、46年ほど前のことだが、このあたりの政治意識ないし社会意識についての叙述は、近年の日本にも当てはまりそうである。とりわけ、ネット上での保守主義的な発言などを見ていると、彼らの憎悪や被害者意識が非常によく見て取ることができる。

次の引用文も同様に、現代日本で見られる考え肩と非常に通じている。

 また日本を牛耳っているのは官僚だというのも多くの人の常識になっている。私の高等学校なり、大学なりの友人には、当然役人になった人が多いのですが、クラス会などに出てみますと、局長や部長級の役人がやはり被害者意識です。外の社会から見ますと官僚は現在非常に巨大な権力を握っていると思われるが、当の役人そのものは支配者というか権力者というか、そういう意識ってものは驚くほど持っておりません、むしろ役人というものは四方八方から攻撃され、政党幹部からは小突かれるし、新聞からは目のかたきのようにいわれるし、非常に割りのあわない仕事だと本気で思っている。大新聞のいわゆる「世論」はこうした役人から見ると、ことごとく自分らに敵対的で、そのことに非常な焦燥、孤立感あるいは憤懣を持っているのです。自分たちの立場や言い分はいっこう通じない、また通じさせてくれないという孤立感です。こうなると、国中被害者ばかりで加害者はどこにもいないという奇妙なことになる。(p.144)



官僚が権力者としての意識を持っているかどうかは分からないが、被害者意識はありそうだし、自分の所属している組織の存在価値が否定されるような言説が満ちており、その上、より現実的な状況として給与も下がる一方となれば、「割に合わない」ということにかけては、この1950年代や60年代の比ではないだろう

それは措くとしても、「日本を牛耳っているのは官僚」という類の考えは、恐らく今でも根強くあるだろう。もちろん、最近は一部の政治家がかなり目立つようになってきたから、そうした一部の役職などについているような要職経験者たる政治家が牛耳っているという考えも強まっている。しかし、それと並行して90年代頃からの官僚バッシングのインパクトは根強いし、それを基調としていつの間にかそれが「普通の公務員」ないし「下級役人」風情にまで拡張されて「悪者探し」の的になっているというのが、近年の政治的な意識としてあるだろう。

まぁ、私に言わせれば、かなりの程度、そうした見方は、不当な「責任の押し付け」にすぎず、良い方向へと進むための方策の実現可能性を小さくしてしまう愚策である。公務員が公僕であるならば、少なくともそうであるならば、いかに彼らに「適切な政策を実行させるか」を考えるのが建設的な考え方である。

単に政治や行政に圧力をかけて「カネをケチらせる」のは、社会も政策も分かっていない人間の判断だというべきだ。政策は経営でもないし、家計でもない。ましてや処世術でもない。「財政赤字→とにかく緊縮財政」と結びつけて無駄遣いを止めろと叫ぶだけのバカは、政策を処世術と勘違いしている、と言っておこう。

なお、これらの重大な相違は、経営や家計や処世術が、行為主体(企業、家計、個人等)の損得を自己完結的に計算するのに対して、政策の場合は、それの執行主体を自己完結的に捉えることはできず、執行主体としての行政庁とその政策の影響を受ける一般社会をまとめて一つのシステムとして捉えた上で、かつ、その「システムにとっての損得」を「各構成素(諸個人)が同時に存立(生存)するという前提の下で」計算することが要求される点にある。

(余談だが、当然、上述のことは財政学における量入制出と量出制入の原理の相違を形成する要因である。経済主体が損得を計算する範囲と合致する場合、量入制出となる。)

さて、話を引用文に戻すと、丸山が「国中被害者ばかりで加害者はどこにもいないという奇妙なことになる」と述べているのも、現代の状況と一致している。ただ、「加害者」は(意図的あるいは意図せずして行われる「情報操作」が功を奏して)かなりの程度、限られた社会層に割り振られている。主として、政治家、公務員、マスコミであり、左派にとっては財界が挙げられることがあり、右派からは労組(日教組など)が挙げられる。

こうした固定観念から一度抜け出した上で、客観的に情勢を判断する能力が求められるが、これを大衆、有権者全体に求めるのは不可能だと考えるべきである。職業的に言論や情報を発信する人々やブロガーや社会運動家のように自主的に言論や情報を発信しようとする人たちに、この「客観性」が求められると私は考えている。

(しかし、ブログというツールの性質上、「客観的」な情報発信とそれによる「ハブの形成」は容易ではないとは思い、その意味で重要性は副次的なものでしかないが、より上位の影響力ある主体が発する言説の共鳴版としてブログは役立てばよいと考える。)

なお、私の場合、上記のようなプロセスを経た上で、差し当たり、勢力を削ぐべき対象は、安倍晋三をはじめとする安倍内閣の要職についているような「保守政治家」であり、同じことだが「日本会議などの右派団体と結びつきを深めている自民党」であると考える。そして、この対象を選ぶことは、一有権者としても妥当な対象であるとも考える。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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