アヴェスターにはこう書いている?
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権丈善一 『ちょっと気になる社会保障 知識補給増補版』(その1)

 でも残念ながら、日本にはフュックスやスティグリッツのような、社会保障を論じることができる一流の経済学者がいなかったように思えます。そのため、社会保障を論じる上で極めて重要である制度や歴史を知らないままに、経済学者が社会保障の世界に参入してきたために社会保障のまわりの議論が荒んでしまいました。それゆえに、きわめて容易に政治家たちが政争の具として社会保障を利用しやすい環境が生まれてしまったように思えます。この10年、日本の社会保障はこれ以上ないほどに政争の具とされてきました。その政争の過程では、現在の制度が国民に憎悪の対象として受け止められるように政治的に仕立て上げられていくわけですから、その時代に生きていたみなさんの意識の中には、社会保障へのいくつもの誤解、そうした誤解に基づく制度への憎しみが深く刻まれていったのではないでしょうか。(p.xii)


社会保障に限らず、税や官僚(公務員)、さらには行政全般に対して憎悪を生み出すような誤解と無理解が横行するようになっているのが日本の社会の特徴ではないかと私は考えている。著者が社会保障に対して指摘するように、より広く行政のあり方全般に対して議論が荒んでおり、政争の具にされやすい環境にあると思う。

こうした諸問題に対して正しい理解を広めるにはかなり長い道のりが必要であるように思われる。



 「扶養負担を表す指標――所得というパイを何人で生産しそこで生産されたパイを何人に分配するのかを表す指標――として最も適切なものは中高校生の教科書に図示されているような65歳以上の高齢者に対する65歳未満人口の比率ではなく、就業者1人当たりの人口であるということは「論理的、学問的にはすでに決着がついている」」と書いています。(p.2-3)


確かに。65歳以上であっても働いている人が多ければ、単に65歳という年齢で区切っても意味はない。



(前略)質問している記者は、207兆円の1割から2割、すなわち約20.7兆円から41.4兆円、1万円の束で207キロメートルから414キロメートルに関する質問をしていると思うのですけど、いつの間にか、50センチ、すなわち5,000万円の話になっているのが分かると思います。
 ……(中略)……。日本に蔓延している政府不信、官僚不信の源には、こうした「計数感覚」というのが関わっているわけでして、計数感覚というのは我々国民が、生活や社会保障を政治から守るために大切なセンスであるとも言えます。(p.33)


全く同感である。私が想起する所では、例えば何年か前に「事業仕分け」とか(霞が関)「埋蔵金」という言葉が流行ったことがあった。あのときに巷にあふれた議論は「計数感覚」が欠如した議論の典型であろう。あの時、私は例えば「埋蔵金などない」という議論をしていたが、誰もまともに取り合わなかったように思う。今から思い返して、何かものすごい「埋蔵金」が見つかったと言える人はいるだろうか?



 もっとも、北欧のように租税への依存が強くても社会保障の給付が安定しているところがあるではないかという意見もあります。彼の国とわが国の違いを言うとすれば、北欧などは、財政支出の中でも生産関連社会資本より生活関連社会資本を日本よりも重視する特徴があるわけですが、それは日本よりも労使関係における労働側の力が強いことが原因であったりもするわけです。(p.55)


この指摘の意味は最初よく分からなかったが、こういうことだろうか?生産関連社会資本より生活関連社会資本を政府が重視することと、労使関係との関係は、労働側と使用者側の直接の交渉力の問題というよりも、労働側と使用者側それぞれの政府に対する影響力の強さがどの程度あるかが、生産関連と生活関連の社会資本への財政支出がどちらの側に重点的になるかということに影響する。すなわち、日本のように使用者や資本家(投資家)が政府に行使できる影響力が強ければ、企業が生産を行うための生産関連社会資本が整備されやすい。これに対し、労働者の政府に対する影響力が強ければ、個々人の生活をより直接サポートする方向で財政支出するように働きかけるから生活関連社会資本の側により多くの支出がなされる。この点に対する説明をもう少し詳しく知りたい。



 なお、小さな政府とは奢侈品が豊富にある社会であり、政府が大きくなるにつれて奢侈品が減り生活必需品が増えていく――日本は、今でさえ「小さすぎる政府」であるため、「ある程度大きな政府」にした方が、確実に住み心地のよい社会になる。(p.89)


政府の財政規模と奢侈品・必需品の多寡という問題はあまり考えたことがなかったが、言われてみるとそうだ。例えば福祉や教育のサービスなどに財政が使われる方が、このための費用を税で徴収せずに自由に使途が決められる場合、確実にこれ以外の奢侈品に使われる分の金が発生するだろう。

日本が小さすぎる政府だというのも私も10年以上前から言い続けており、もっと財政規模を大きくした方が生活はよくなると考える点は権丈氏と同意見である。

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