アヴェスターにはこう書いている?
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越野武+北大建築史研究室 『北の建物散歩』(その2)

 卯建は、江戸中期ごろ、いったん見られなくなり、江戸末期から再び登場し、明治から大正、昭和初期にかけて全国で見られるようになった。北海道でも、小樽や函館などで見られたが、中でも小樽市内の川又商店の袖卯建は逸品といえる。朝日、鶴、松、亀など日本的題材を浮き彫りにした華やいだその卯建には、防火上の機能を越えて、店主の普請への気負いが伝わってくる。
 この建物(明治38年建設)は、色内一帯を焼き尽くした明治37年(1904年)大火の復興建築第一号という。「大火ごときに負けるものか」という小樽商人の底力を、こんな形で表現したのかもしれない。(p.129)


うだつが一時期見られなくなったのは何故なのか?これは少し気になる。川又商店のうだつは、確かに立派なものだが、あまり細かいデザインまでしっかりと見たことはなかったので、次回訪れる際には少し注意してみてみたい。



 といっても木骨石造はれっきとした舶来の建築手法である。江戸前土蔵造り風が大勢だったとはいえ、中にはいくつかモダンな洋風の店を建てる者もいた。
 堺町筋の岩永時計店はその代表格だ。明治29年(1896年)の落成。もうひとつ、入船通りに明治32年に建てられた佐々木銃砲店も、バルコニーやドーマー窓を付けた洋風の建築だったが、今ではあまり面影がない。
 時計と鉄砲というのは妙な組み合わせだが、明治にあってはどちらも文明開化の花形商品だった。
 そこへいくと回船問屋とか呉服太物商といった商売は、店構えも伝統的な風情を固守する傾向がある。やはり店の建築スタイルも、扱う商品を表わすのである。(p.140)


なるほど。扱う商品が店の建築スタイルにも表れることがあるというのは面白い視点。岩永時計店は、鯱などもついており、むしろ和風のテイストも結構あるように思われ、今の感覚からするとあまり洋風と言う感じはしないが、二階中央のアーチ形の窓などは確かに洋風である。



色内通りと運河の間は、おおむね明治22年に埋め立てられており、その直後から荷揚げ営業用の大倉庫がいくつも建てられていった。(p.181)


小樽倉庫(現在の運河プラザ、小樽市総合博物館運河館の建物)や大家倉庫などはまさにこの頃に建てられている。



 ところで昔の北海道の町村には、一級と二級の区分けがあった。二級町村というのは町村長も官選だし、議会の権限、地位もいたって低いものだった。一級町村になって、曲がりなりにも住民の選挙が行われ、一人前の自治体になるのである。
 このことは町村役場の建築にも強く反映する。一級に格上げされるのと同時に、立派な庁舎を建てるケースが多い。(p.243)


一級と二級の町村ということはしばしば北海道の歴史に関する解説に出てくるが、その具体的な制度の内容はあまり説明されることはない。その意味ではもう少し詳しく知りたい問題ではある。

一級町村になると庁舎も立派になるというのは面白い。なお、以上の指摘は旧妹背牛村役場庁舎についての解説だが、他の事例も列挙してもらえて、それの実物を幾つかでも見ることができるとより実感できるのだが。あまりその時代のものは残っていないか(しいて言えば古写真で確認できるくらいではないか)。

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