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アヴェスターにはこう書いている?
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I.ウォーラーステイン他 『開かれた歴史学 ブローデルを読む』(その2)
アラン・カイエ「市場の支配力」より

彼の考える資本主義とは、生産から生まれるのではなく、流通から生まれるのだ。直接取引していた売り手と買い手のあいだに第三者、すなわち商人が介在するようになって、資本主義は始まる。それは、この第三者が金融仲介業者や資金を持つ商人や銀行家である場合には、なおさらである。ゆえに、資本家の利益とは、本質的に投機的次元のものとなるだろう。その利益は、マルクスが考えたように、商品等価作用の一環であるどころか、交換のルールを自分の利益のためにねじ曲げる資本家的中間者の能力から生まれるのだ。中間者をなくしてしまえとブローデルはいっているように見える。公正な市場をひたすら守るためには、資本主義をなくすしかないと。あるいは、商人のいないところにしか真の市場は存在しないと!(p.138)



流通主義的とも言われるブローデルの資本主義概念について簡潔にまとめている。ブローデルの資本主義概念には、生かしうる要素がかなりあるというのが、現時点での私の直観である。

「生産ないし生産関係」や「流通」という抽象化された現象を取り出して規定しても、経済活動を的確に捉えることはできないという点で私はマルクスもブローデルも拒否するが、現在でも見られる「生産力信仰」に対して別の見方を提示しているところにブローデルの資本主義概念の一つの意義がある。

もちろん、共時的な見方が導入されている点も優れた点である。

根本的に重要な点として、私見ではブローデルの資本主義はスケールフリー・ネットワーク的であり、ブローデルの市場はランダム・ネットワーク的であると見ている。ブローデルは遠距離の大規模な交易をする商人を想定しているようだが、それは距離の問題よりも「お金」が通過するハブであることに意義があるのだと考える。そうしたハブが存在するシステムを資本主義と呼ぶならば、この概念にも――この呼び方が最適かどうかという問題は依然として残るが――意味があると思われる。

逆に、ハブがなく、相対的に平等な主体間の交換過程が行われる社会的場を市場と呼ぶとすれば、それはそれで利用可能な概念ではある。但し、「市場」という言葉は、あまりにもネオリベラリズムの常套句として定着しすぎているので、使いやすくはない。その点、資本主義は既に死語に近く、逆に利用可能性が残っている。




フィリップ・ステネール「資本主義と近代性――マックス・ヴェーバーは考慮の対象外か」より

ヴェーバーのアプローチは、本質的にはマルクスを拒否したいという願望によって導かれているのではなく、むしろゾンバルトの主張を標的にしたものである。この見直しは、それ自体重要である。というのも、それはヴェーバーがゾンバルトを批判しながら、彼自身、ゾンバルトと同じ困難に陥っていくことを明らかにするからである。ゾンバルトにとって、近代資本主義の精神は二つの側面を持つ。すなわち、企業精神とブルジョワ的あるいは合理的精神である。ヴェーバーにとってと同様、ゾンバルトにとっての根本的な困難は、これらの特徴が資本主義の定義であるのか、あるいは逆に資本主義発生の諸条件であるのかを見きわめることにある。(p.207、本文傍点を下線に変更)



この論文集が出たのが1988年であることを考えると、この指摘はなかなか鋭いところをついている。(ただし、邦訳は2006年である。)

特に日本におけるウェーバー研究の状況に対しては重要な指摘たりえた筈である。なぜならば、日本でのウェーバー研究も、長らくマルクスとの関わりで論じられ続けたからである。(これは「社会科学」が輸入されたとき、生き残ったのが実質的にマルクス主義だけだったということの帰結の一つにすぎないのだが、ウェーバー研究という観点から見ると、重要な規定要因ではあった。)

近年の研究では、こうした同時代人とウェーバーとの関係を見直すという方向はかなり進められているようで、その意味では、この論文で指摘されているような方向に進んできたらしい。私としては、ゾンバルトの論文は「まだ」読んでいないので、様々なところで断片的に語られる彼の学説との比較しかできないのだが、確かに、ここでのステネールの指摘は妥当であるように見える。(少なくとも、ウェーバーの直接の「相手」がマルクスでなかったことはほぼ間違いない。ウェーバーはそれほどマルクス本人の書いたものについて深く研究したわけではないと思われるので。例えば、言及の深さや頻度などから推しても。)

とりあえず、私としては、この指摘によりゾンバルトを読む楽しみが増えた。(ゾンバルトの論文自体は、何年も前から購入してある。)




イヴ・ラコスト「地理学者ブローデル」より

それ(引用者注…差異化する空間性の原理)が具体的にどのようなものであるかを理解するためには、ある空間部分、たとえばフランスのさまざまな透写図――それぞれが地質、土地の起伏、気候、定住状況、経済、行政機構、言語および宗教分布の形状を示す――を重ね合わせるだけで十分である。これらの形状は、たいていの場合、互いに一致することはなく、交差intersections――つまり重ね合わさった透写図がそこに描かれた輪郭を錯綜させる箇所――を次々とつくりだすと思われる。そして地理的立論は、とりわけこの錯綜を解きほぐすことによってはじめて、現実の複雑性を説明することができるのである。(p.270、傍点を下線に変更、)



このラコストの「差異化する空間性の原理」は非常に参考になりそうだ。地図を手に入れて重ね合わせるのは素人には難しいが、それらを手に入れた上で頭の中で合成することで見えてくるものはいろいろありそうだ。

ちなみに、ラコストの論文ではブローデルとイブン・ハルドゥーンの類似性を指摘しており、この点も興味を引かれた。上記のウェーバーに関する指摘もそうだが、こうした意外なところで自分が関心を持っているもの(あるいはまったくそれまで関心がなかったもの))と遭遇し、少し通常とは違った角度から見させてくれるというのが、こうしたオムニバス形式というか複数の著者による論文集のよいところである。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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