アヴェスターにはこう書いている?
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ダンカン・ワッツ 『偶然の科学』

 このように、常識の矛盾とは、世界に意味づけをするのに役立つにもかかわらず、世界を理解する力を弱めてしまうことだ。(p.13)


世界のメカニズムを理解することとそのメカニズムの意味を見出したり解釈することは別のことであるが、常識は前者が得意ではなく、後者を得意としているという。だから常識で世界を理解しようとすると誤りやすい。

思うに、情報に分かりやすさを求めてしまう傾向が広くみられることも(例えば、マスメディアで政治を取り上げるとき、ワイドショーで取り上げられると「盛り上がりやすい」など)、人間のこうした性質と関係があるように思われる。



 これらの心理学の実験が明証していることを一言でまとめるとこうなる――われわれの行動にきわめて現実的、具体的な影響を与えるにもかかわらず、もっぱらわれわれの意識しないところで働く関係要因は実に数多くある。(p.54)


本書の前半は方法論的個人主義が批判されるが、ここでの指摘の内容はウェーバーの理解社会学の方法(これは本書で言う「常識」に基づく方法に属する)が、いかに社会における因果関係などを把握するのに適切ではないかを示すものである。



ダ・ヴィンチは賞賛されてこそいたものの、1850年代まではティツィアーノやラファエロのような絵画の真の巨匠には及ばないと見なされており、このふたりの作品の一部は<モナ・リザ>の10倍近い価値があった。
 実のところ、<モナ・リザ>が急激に人気を博して世界に名を知られるようになったのは20世紀になってからである。……(中略)……。すべてのきっかけは、一件の盗難事件だった。(p.72)


このあたりの経緯(ここでは詳細に引用しないが)も非常に面白い。



われわれは芸術作品をその特質に基づいて評価しているように思えるが、実は反対のことをしている。つまり、まずどの絵が最高かを決めたうえで、その特質から評価基準を導き出している。こうすれば、すでに知っている結果を一見すると合理的かつ客観的な形で正当化するのに、この評価基準を引き合いに出せる。しかし、これがもたらすのは循環論法である。われわれは<モナ・リザ>が世界で最も有名であるのはXとかYとかZとかの特質を備えているからだと言い張る。だがほんとうのところは、<モナ・リザ>が有名なのはそれがほかの何よりも<モナ・リザ>的だからだと言っているにすぎない
 ……(中略)……。だが、いま述べたような循環論法、つまりXが成功したのはXがXという特質を持っていたからだとする論法は、何かが成功したり失敗したりする理由を常識に基づいて説明するときに広く見受けられる。(p.75-77)


ここでの指摘はウェーバーの理解社会学で行われている手続きに対しても全く同様に当てはまるものであり、方法論的個人主義の問題点を的確に抉り出していると思われる。



 方法論的個人主義の主張者は、この根本中の根本の説明ができると考えていたが、あいにくそれを打ち立てようとする試みは、ことごとくミクロ-マクロ問題に正面から阻まれてきた。そのため実際のところ社会科学者は、代表的個人と呼ばれるものを引き合いに出し、この架空の個人の決断に集団の行動を代弁させている。(p.84)


実際、私自身もミクロ・マクロ問題が解決できる方法としてウェーバーの理念型を用いた理解社会学の方法をかつて非常に高く評価していた。



 言い換えれば、われわれは結果の原因をひとりの特別な人間に求める誘惑に駆られるが、この誘惑はわれわれがそのような世界の仕組みを好むからであって、実際にそのような仕組みになっているわけではないことに留意しなければならない。……(中略)……。
 このようにして常識に基づく説明は、なぜ物事が起こったかを教えているように思えても、実は何が起こったかしか述べていないのである。(p.155-156)


ここで指摘されていることは、政治について話題にする場合に、政策論よりも政治家のスキャンダルや問題発言などの方が話題になりやすいこととも関連があると思われる。



したがって、進行中の歴史は語りえないのであって、その理由は当事者たちがあまりに忙しかったりあまりに混乱していたりして歴史を解き明かせないからだけでなく、起こっていることは結果が明らかになるまで意味づけができないからでもある。(p.161)


なるほど。



 要するに、うまく機能したチームがすぐれた結果を出したのではなく、見かけ上のすぐれた結果がチームはうまく機能したという錯覚をもたらしたことになる。そして注意していただきたいのだが、この評価は内部情報を持っていない外部の観察者がくだしたのではない。チームのメンバーたち自身がくだしたのである。つまり、ハロー効果は成績や実績にかかわる世間一般の通念をくつがえす。結果の評価はそれに至った過程の質で決まるのではなく、観察された結果の性質が過程の評価を決めるのである。(p.279)


能力給や成果主義、短期的な人事評価制度などといったものがうまくいかないのも、ここで述べられている点と関連が深いと思われる。見かけ上のすぐれた結果を得たチームにいれば評価され、実際にうまく機能したかどうかは問われない。評価は偶然によって生まれた結果によって決まってしまう。これでは意欲が削がれるのも当然であろう。



 この累積的優位の効果と生まれながらの才能や努力の差とを区別するのはむずかしいが、似た能力の人々をどれだけ慎重に選ぼうとも、マートンの理論が示すとおり、その成功の度合いは時間とともに大きく異なってくることが、数々の研究によって明らかにされている。たとえば、不況時に大学を卒業した人は、好況時に卒業した人より、稼ぎが平均して少ないことが知られている。(p.289-290)


偶然のもたらす結果の違いは大きい。

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