アヴェスターにはこう書いている?
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新谷恭明、折田悦郎 編 『大学とはなにか 九州大学に学ぶ人々へ』(その2)

 帝国大学を頂点とする日本の高等教育システムには、近代国家の建設・発展にとって有用な指導的人材を育成すること以外には、これといった有力な理念が存在しなかった。キリスト教的な「人間救済」の理念や、19世紀的な「自由な精神による真理の探究」の理念などは、当時の日本人には疎遠なものであった。また欧米とは異なり、「国家があってこその大学」という観念が支配的であった。
 そうした背景のもとで、近代国家の建設・発展にとって有用な学問として、科学技術系の学問が重視され、高い威信をもった。理学・工学・医学などである。それらはもっぱら実用学として理解されていた。東京・京都以降に作られた後発の帝国大学がみな、科学技術系の高等教育機関として設立されたのも、そうした学問が国家的に重視されたことが背景にある。(p.33)


「国家があってこその大学」という観念は、もともと大学というものが教師や学生の自発的な組合であったこととは全く異なるものとして輸入されたことを意味する。政府が大学を設置することになると、当然に政府にとって重要な学問を教える場とされていくことになり、戦前の日本の場合は科学技術系の高等教育機関が設立されていくことになったわけだ。ただ、東京帝大の場合は法学も重視されていたように思われる。

いずれにせよ、「自治から遠い大学」ということは言えそうである。



 さて、高度経済成長期になると、若者が大学に殺到するようになり、日本の大学教育はエリート段階からマス段階へと移行した。しかし激増する学生を収容する上で中心的役割を担ったのは私立大学であった。旧制大学時代においては国公立大学が私立大学よりも学生数において優位にあった。新制大学時代になると学生のなかで私立大学在籍者が多数派を占めるようになるが、それでも高度成長期が始まったばかりの1955年には、国公立と私立の学生数の比率は約2対3であった。それが高度成長期が終わる1970年には約1対3となり、私立大学の圧倒的な量的優位が確立した。そしてその後もこの約1対3という比率は変わっていない。
 そうした私立大学優位の構造がもたらされた基本的原因は、大学進学希望者の急増に見合うような大学定員拡大政策を政府が実行せず、無策のまま状況を放置したことである。(p.34-35)


日本の教育予算は少なすぎる。そのことが家計が大きな教育支出をしなければならないことの要因となっており、経済格差が教育格差に直結し、それが世代を超えた経済格差の固定化へと繋がっていくという構造の一因となっている。



 第三に、大学の教育内容が空洞化しているにもかかわらず、それを卒業することは比較的簡単である。学生が必死に勉強しなくても容易に単位を取得でいるような仕組みになっているからである。日本の学生は多くの場合、授業に何度も欠席しても、通り一遍の期末試験を受けるだけで単位を取得できる。それに対してアメリカでは大量の宿題が課せられ、単位認定も厳しい。週45時間労働の原則を大学生にも当てはめるというのがアメリカの基本的考え方である。その結果、アメリカの四年制大学では、四年間で卒業できる者の比率は約60%である。それに対して日本の学生の「サバイバル・レート」は約90%に達する。このように成績評価制度がいい加減であるため、日本の大学の卒業証書は、その知的能力の品質保証書としては社会的に通用しない。「優」「良」「可」の成績評価もあまり当てにならない。そこで企業は、入学試験で発揮した能力を信用して、有名大学卒業者を優遇する傾向がある。(p.37)


大学の成績評価制度がいい加減すぎるというのは、私自身が大学に入学したその日(大学の授業科目について評価の甘辛をまとめた表が先輩たちにより流布していた)から実感したことであり、大学に入った後もあまり大学の公式カリキュラムでの勉強には意味や価値を見いだせないことに繋がっていたように思う。(頑張って身に着けたものがあっても正当に評価されるという見通しがないのであれば、最低限の労力で単位を取得するというゲームをする方が合理的だという判断に流れることになる。)

大学の卒業証書が知的能力の品質保証書として通用しないため、企業は有名大学卒業者を優遇することになるというのは、なるほどと思わされた。



このうち講座制は、講座担当者に対して職務給(本俸の4~5割)の上乗せを保障する一方で、教授の専攻責任(専門分野)を明確にしようとするものであった。同時に明文化された教授会とこの講座制は帝国大学の自治の根幹をなす制度となり、後年惹起する大学自治問題(例えば、東京帝国大学での戸水事件、京都帝国大学での沢柳事件、滝川事件等。なお、これらの自治問題については第七章の荻野喜弘「日本における大学の自治」を参照)でも、大きな役割を果たすことになる。(p.52)


講座制は講座担当者の給与にまで関係していたとは驚いた。現在はどうなのか?



 なお帝国大学の特権的地位は、法科以外の分科大学にも見られ、例えば文科大学、理科大学出身者は、中等学校(旧制中学・高等女学校)や高等学校・専門学校(旧制)教員の供給源として大きな力を持った。(p.53)


帝国大学(東京)の国家主義的な傾向を考慮すると、こうした教員の供給源となったことは、戦前の教育に国家主義的な傾向を与える要因の一つとなっていた可能性がなかったのかという疑いを私は持ってしまう。



 なお、帝国大学は内地・植民地に広大な演習林を所有していた。これらも帝国大学特別会計法の基礎になったといわれている。(p.63)


北大の歴史を見ていると演習林はあまり登場せず、農場が重視されることが多いが、確かに演習林も重要かも知れない。



アジア進出を睨んだ国家目的は農学部設置以前の1912、1913年に大学直属の演習林が樺太・朝鮮・台湾に設置されていたことによく示されている。こうした国家目的と地域社会との要請とが結び付いた農科大学は1917年に福岡県のおよそ135万円の設立寄付金によって実現することになった。(p.159)


九州帝国大学の農科大学の設立の経緯だが、いくつか興味深い点がある。例えば、アジア進出という政府の意向が関係していること(札幌農学校の設置もロシアの南下に対抗するための北海道の防備の必要性が政府にあったことと重なる)、国立の大学であるのに国費ではなく福岡県の寄付金によって設立されているという財政面での中央政府の渋さ(東北帝大や九州帝大が設立されるときも古河財閥などの寄付が必要だったことが想起される)など、国策で設置する割には政府が金を出し渋るのは一体どういうことなのか?



 九州帝国大学は医科大学設置の時に九州・東北二大学設置が政治問題化したように、帝国大学であると同時に生まれながらにして地方大学であった。そして九州大学はこうした地域の期待によく応えてきた。戦前だけでなく戦後においても地域社会のために九州大学の果たした役割は大きい。
 学生の出身地を見ると、設立当初(1911年)の入学者こそ九州地方は31%であるが、昭和戦前期は九州地方が50%強(うち福岡県がおよそ半数)を占めるようになった。戦後新制大学になるとこの割合は著しく増加する。1951年では福岡県だけで58%を占め、その他九州が34%を占める。この傾向はその後若干低下するが、1998年でも福岡県39%、その他九州が37%を占めている。この割合は九州帝国大学と新制九州大学が地域社会の教育に果たしている役割を示している。(p.160)


九大の九州出身者の割合の多さに驚く。北大の場合、北海道出身者は半分弱程であり、関東や近畿出身の学生が25%くらいはいる。東北大では東北出身者は4割程度で、関東(3割)と中部(15%)の学生が多いようだ。学生の出身地は卒業後の学生の居住地(勤務地)にも影響がありそうなので、そのあたりとも絡めて調べてみると面白いかもしれない。



 ちなみに、外国と比較してみると、実は、大学入学者の選抜方法が日本ほど多様化したところはない。ヨーロッパ諸国は基本的に中等学校(高校)の卒業資格試験の成績で入学の可否が決まるし、多様化しているといわれるアメリカでも、基本的にはハイスクールの成績か、それに共通テストの成績を加えた学力評価だけで入学者を決定している。
 では、多様化にはメリットがあったか?天野氏は、答えはNOだという。第一に、それが過熱化した受験競争を冷却する上で大きく寄与し始めたという兆候はほとんど見られない。逆に、多様化でチャンスに恵まれた大都市部の、経済的にも恵まれた階層の人々の競争の過熱化に拍車をかけた面すらある。第二に、多様化は、入学者の学力偏差値による大学間の威信の序列を突きくずすことにも成功していない。それは、推薦入学がほとんどの大学で一般入試の補完的役割しか与えられていないことに象徴的に現れている。
 他方、多様化は深刻なマイナス効果も生んでいる。……(中略)……。最後に、⑤入試方法の多様化の結果、初等・中等教育の質が低下し、ひいては大学生の学力が低下する危険性が、もっとも懸念されるマイナス効果である。……(中略)……。その事情が一変し、早くから受験に関係ない科目を「棄てる」という履修態度が一般化しつつあるといわれる。多様化の名の下に、全教科を満遍なく学習することを求めないで本当にいいのだろうかというわけである。(p.195-196)


受験の多様化は百害あって一利なしというのは自論と一致している。



なお、入試制度の歴史に関心のある読者にはぜひ「竹内洋『立志・苦学・出世――受験生の社会史――』」を読んでみてほしい。本書には単なる制度の歴史の叙述を超えて、「受験」という制度が日本の近代において持った社会的意義や受験生という一種の社会階層の精神・気質の時代ごとの変化が見事に描かれており、大学入試制度の歴史を考える上でとても有益である。(p.197)


読んでみることにしたい。

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