アヴェスターにはこう書いている?
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新谷恭明、折田悦郎 編 『大学とはなにか 九州大学に学ぶ人々へ』(その1)

 そうしたテキストは、講義形式(講読と呼ばれた)と、演習形式(討論と呼ばれた)によって、口述で教えられた。安価な紙も活版印刷術もなかった当時のヨーロッパにおいて、口述以外の教育方法は現実的にあり得なかった。(p.19)


中世のヨーロッパの大学における教育の状況。ヨーロッパに限らず、口述や書物の暗誦などが学習内容をなしていた時代や地域は多いが、紙や印刷術がないという前提の下では、こうした方法以外には有力な選択肢はないため、こうしたところに落ち着くわけだ。なるほど。



 そうした近代科学の建設者たちの活動は、本質的に大学の外部で行われた。大学教授もメンバーとして関与したが、彼らも研究に関しては、私費を投じて自力で行い、アカデミーや私的サークルで成果を発表する点において、在野のアマチュアと全く変わらなかった。このように大学は近代的学問の研究や発表が行われる場ではなかった。大学は研究後継者養成機関としての役割も果たさなかった。大学のカリキュラムは、旧態依然としたスコラ的な伝統を守り続けたのである。大学が近代的学問を自らのなかに取り込み、その研究・教育の中心地となるのは十九世紀のことである。(p.22)


19世紀における大学の変化その社会的な背景、さらに、そうした変化を語る前提知識としての18世紀以前の大学における研究や教育について詳しく知りたい。



また大学設置者(領邦諸国家のちに帝国)は、特別の予算を与えるための制度的枠組みとして、「ゼミナール」(人文学・社会科学系)、「インスティトゥート」(自然科学系)、「クリニック」(医学系)を設置した。(p.23)


19世紀のドイツにおける変化。大学が政府的なものをパトロンとするようになり、予算を受けるための制度的な枠組みとして、ここで語られているような制度が整備されてきたという側面もあるということか。研究や教育のための必要性からこうした制度が確立したのか、予算のための機関として確立したのか、こうしたあたりの歴史的経緯を知りたい。



 これに対してアメリカでは、実用学はほとんど抵抗なしに大学に入り込むことができた。実用学の大学における普及に大きな役割を果たしたのが、1862年に制定されたモリル法である。それは連邦政府が大学に土地を贈与することを定めた法律で、これに基づいて多くの州立大学が設立された(それらを土地付与大学と言う)。それらの多くは農学や工学のような実用学中心の大学として発足した。(p.24)


アメリカではヨーロッパと異なり実用学が抵抗なしに受け入れられたということはしばしば語られるが、ここで述べられているアメリカの州立大学の成立過程とその「実用学中心の大学」という性格は興味深いものがある。

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