アヴェスターにはこう書いている?
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横尾壮英 『中世大学都市への旅』(その1)

中世大学は、最初は、土地も建物もない人間だけの大学だった。
 やがて、そういう人間だけの大学、集団としての大学が、しだいに建物を入手する時代が来るのだが、そうした建物をもつ時代になっても、それらの建物がある敷地にまとまった形で存在したわけではない。大学の所有にかかる施設は、町のあちこちに民家と混って散在するだけで、けっして○○通りの○丁目あたりに――しかも塀をめぐらして――集中的に存在するのではなかった。(p.37)


12世紀にヨーロッパの大学が成立した頃は現在とは大きく様相を異にしていることがわかる。土地や建物を持たない「人間だけの集団としての大学」、そして土地や建物を取得するようになっても、まとまったものとして取得したのではなかった。貴族や都市そして「国家」などからの大きな財政的支援が得られる前の状態を知ることで、それ以後との変質の様子が浮かびあがあってくるように思う。



 いわゆるキャンパスというのは、ヨーロッパ起源のことばではない。アメリカの多分プリンストン大学あたりから使われだしたことばである。もともと原っぱや耕地を意味するキャンパスが大学の敷地という用語になったのは、城壁とも都市とも縁遠いアメリカの大学の環境ではじめて可能なことだった。オックスフォードやケンブリッジでさえ、そういうことばは使われなかったのである。(p.38)


なるほど。「原っぱ」が「校地(大学の敷地)」となったアメリカでこそ、キャンパス=校地という用語が誕生し得たわけだ。



 しかし14世紀になると、設立者たちの関心は、神学の助成よりもむしろ法学の助成へと移る。ボニファチウス八世とフィリップ美王の闘争以後に創設された学寮は、多かれ少なかれ世俗権と教皇権の問題、市民法と教会法を学ぶ若者のために奨学金を用意した。パリでいえばナルボンヌやボワシイといった学寮である。信頼のできる法律家や官僚を養成し確保することは、聖俗いずれの体制にとっても大事なことが年とともに強く認識された。恐らくは、今日いうナショナル・ニーズに基づく人材の養成以上にさし迫ったエリート教育の場として、学寮が新しい役割を与えられた。「学部の闘争」でも法学部が神学部に優越するようになったのである。(p.68)


中世の学問では神学が最高位にあった、といったことが(比較的通俗的な)哲学史などでは語られているのを読んだことがあるが、14世紀にはすでに法学の地位が向上していた、すなわち社会からの要求が高まっていた



 しかし、中庭を囲む建物の配置そのものは、どちらかといえば伝統的で、修道院の構造をそのまま踏襲しているように思われる。いや、修道院よりも古い、たとえばポンペイの遺跡に見られる古代ローマの住居や、ウィトルウィウスの説くギリシャの家屋とも、大いに血のつながりがあるように思われる。あるいは、中山茂の指摘するとおり、イスラム圏のマドラサとも切れない縁があるのかもしれない。(p.76-77)


ボローニャのスペイン寮についての叙述より。中庭式の建物配置がマドラサと関係があるかもしれないという指摘は興味深い。この学寮がスペインの若者のための学寮であるだけになおさらそうである。

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