アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

野﨑敏郎 『ヴェーバー『職業としての学問』の研究(完全版)』(その2)

 価値判断論争においては、①価値判断排除によって社会政策そのものが骨抜きにされることを懸念する社会政策学会の旧世代(シュモラーら)と、②社会政策から一切の価値判断を排除しようとする画策する「似非価値自由」論者たちと、③価値の自覚的明示と冷徹・明晰な科学研究との両立をめざすヴェーバーやゾンバルトとの三極構造がみられる。この論争の錯綜とした展開過程については、細見博志の諸論考が丹念な《交通整理》をおこなっていて有益である。(p.196)


「交通整理」は読んでおきたい。



教育の場において、教員も学生も、自分にとって都合の悪い事実(段落㉛)にこそ目を向け、どのような価値を奉ずる者でも否応なしに認めざるをえない事実認定や因果関係の認識を共有し、それを手がかりとして自分自身を相対化し、みずからの利害状況の外に立って自分の奉ずる価値を見直し、さらにそこにとどまることなく、各々がその価値に則った主張をぶつけあい、熾烈な討論を共体験することこそが、価値自由な教育・研究の内容物なのである。(p.221)


価値自由という主張から学ぶべき点のエッセンスを的確にまとめてくれている。



 「価値査定」と「価値選択」は、『価値自由論』において頻用されているが、こちらの四つの邦訳も、この二つの概念のいずれにたいしても「評価」という訳語を充てているため、大きな混迷に陥っている。(p.230)


「価値査定」はBewertung、「価値選択」はWertungの訳。前者は「事物の価値にかんする判定行為一般」であるのに対し、後者は「たんなる査定にとどまらず、実践的な性格をもつ決断」、「査定した価値をわがものとし、みずからの生の現場でその価値に則って行動すること」を指すという(p.224)。



 大学教師の知識は、どのような価値選択・立場決定をなした者にたいしても有益なものでなくてはならないという教育要求は、ヴェーバーの説く教壇禁欲の根幹をなしている。(p.230-231)


確かに。このことは意外と(?)強調されることがないように思われる。(特に古い議論に対しては、価値自由や講壇禁欲にたいして、明らかに誤った理解によると思われるものが多いと私も感じていた。)



ヴェーバーは、彼の眼前にある現実において、実際に神々の闘争が現出しているとみているのではなく、まったく逆に、「『神々』が現実には争わないことを問題としたのであり、むしろ『神々』はいかに闘争すべきか」が彼の問題関心にあった。「現実の行為者は、たとえ自己の立場が排他しあう『神々』=究極的立場の混同の上に成立していても、それを直視しようとはしない」というのが彼の批判的論点であり、1913年から1917年のあいだにみられた彼の思考の成熟によって、この闘おうとしない神々をきちんと闘わせる「価値討議」へと向かう筋道が立てられていく(矢野善郎 2002:14~17頁)。(p.239-240)


この指摘は刺激的だった。今まで読んできたものでは明らかに本書で誤っているとされる理解がまかり通っており、私もそうしたものだと思っていたからである。価値討議へと繋がっていくあたりの筋道などを本書では指摘してくれており、そうした筋道が見えることにより、(ドイツ語が読めないため検証することができない私にとっても)今まで見てきたものよりも本書のこの指摘の方が説得力があるものとなっている。



段落㉖要説(二)にしめしたヘーゲルの議論を敷衍するならば、「脱イデオロギー」をみずからの立場としようとする者は、いかなるイデオロギーをも前提としてはならないが、それはあらゆるイデオロギーから距離を置くことを意味しており、あらゆるイデオロギーから距離を置くためには、あらゆるイデオロギーに通暁していなくてはならず、つまりあらゆるイデオロギーを前提としなくてはならない。その結果、「脱イデオロギー」は、あらゆる「反イデオロギー」によって自己自身をがんじがらめに縛りつけざるをえない。「脱イデオロギー」は、こうして、イデオロギーによって拘束された自縄自縛の立場であることが暴露される。(p.259)


興味深い議論。



正嘱託教授としての活動から(1903年秋~1917年春)
 この時期の彼の境遇と立場と活動については、意外なほど知られていない。とくに、彼が、1903年秋にハイデルベルク大学を退職し、以後この大学との関係が切れたかのように誤認されてきた。(p.329)


確かに、私も退職したものと思わされていたので、本書でこの時期のウェーバーの立場についての説明を読み目から鱗という感じであった。正教授からは自発的に退いたが、正嘱託教授として講義の義務からは免れるが演習や大学運営などには関わり続けた。こうした立場などを理解していた方が、彼をとりまく状況がより具体的に理解できる。(例えば、優れた人材を大学の職に就けようと努力したりすることも、大学と関わり続けていたからこそ自然と行えるものであるように思われる。)



またオイゲン・ディーデリヒスは、1917年にラウエンシュタイン城文化集会を開催したさい、マリアンネ・ヴェーバーに招待状を送っているが、そのさい夫は度外視していた。病気のマックスは参加できないだろうと判断したためである。しかしマリアンネは、夫も参加できると返信を送り、ディーデリヒスは、あらためてマックスにも招待状を送っている(後述)。ここからわかるように、1917年は、ヴェーバーにとって、――限定つきとはいえ――公の場で活動ができるようになった重要な年である。(p.332)


ラウエンシュタイン会議への参加経緯のエピソードは興味深い。また、1917年の位置づけは妥当。



 講演会場として選ばれたのは、ミュンヒェンのアーダルベルト通15番に位置するシュタイニッケ書店内に付設されていた小ホール(Steinickesaal)である。当時、シュヴァービング地区とその周辺地域は、その独特の文化的雰囲気によって若者たちを魅了していた。(p.337)


「職業としての学問」とその再講演、さらに「職業としての政治」の講演の会場。機会があれば跡地に行ってみたい。



既述のように、禁欲的プロテスタンティズムにたいする仮借なき批判の書である『倫理と精神』が、あたかも禁欲的プロテスタンティズムを称揚する著作であるかのように偽装され、専門内への自己閉塞状況からの脱却をめざした『職業としての学問』が、あたかも自己閉塞を自他に強要する著作であるかのように偽装されてきたのである。後者の場合、尾高や出口の訳にみられる激しい改竄は、日本の社会学者・社会科学者たちの心性や自己弁明に直結していると考えられる。つまり、それは歴史的誤訳と評されるべきものである。(p.377)


「倫理」については、禁欲的プロテスタンティズムに対して批判的なものだという理解はしていたが、「学問」の誤訳には誤導された。後段で語られているのは、当時の日本の社会科学者は、自己閉塞しており、それを正当化したいという欲求があったということか。


スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/1176-1327801a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)