アヴェスターにはこう書いている?
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水島治郎 『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』

 このように既成政党・団体が弱体化し、社会に対する「把握力」が大きく低下したことは、政党エリートや団体指導者がもはや人々の「代表者」として意識されず、むしろほかの特定利益を代弁する既得権の擁護者として認識される、という結果をもたらした。政治経済エリートは「私たちの代表」ではなく、「彼らの利益の代弁者」として位置づけられてしまったのである。
 エリートに対する人々の違和感の広がり、すなわちエリートと大衆の「断絶」こそが、ポピュリズム政党の出現とその躍進を可能とする。(p.65)


団体の弱体化は、日本では、日本会議や創価学会などの宗教的な勢力の相対的なプレゼンスや影響力を高めるという意味もあった(菅野完『日本会議の研究』)が、本書が指摘するように、エリートと大衆の接点が失われることで、認識のレベルにも影響を与えているとすれば、これは想像以上に大きな変動だと言わざるを得ない。もう少しこの問題は掘り下げる価値がありそうだ。



 スイスに限らず、移民排除に賛同し、積極的に右派のポピュリズム政党を支持するのは、せいぜい有権者の二~三割である。その意味では、白い羊たちのうち、黒い羊を蹴り出そうと自分で足を突き出す羊は、やはり三匹のうち一匹にすぎないのだろう。
 しかしより重要なことは、ほかの二匹の羊が、無関心を装うことによって、黒い羊の追い出し劇を事実上支持し、そして自分が手を(足を?)出さずに済んでいることに内心ほっとしていることではないだろうか。(p.158-159)


無関心やポピュリストたちの過激な発言を訂正せずに放置していることは一般に想像される以上にポピュリズムの台頭による「多数者の専制」に手を貸すことになる。

この引用文の構図に既視感があった。何かと似ているのだろうと思っていたら、「いじめ」の問題と同じであることに気付いた。いじめに積極的に加担するのはごく一部の加害者だとしても、いじめられる被害者を見て見ぬふりをしたり、面白がって見ている多数の傍観者たちがいることで、加害者が加害者としての活動ができる面がある。ポピュリストが発する刺激的な言葉を単に面白がって消費していてはいけないということを肝に銘じたい。



 しかし今回の投票後に表出した離脱賛成者への批判的視点は、実はかつてジョーンズが『チャブたち』で赤裸々に示したような、中産階級の労働者層に対する侮りのまなざしと共通するものがあった。……(中略)……。
 ……(中略)……。
 『チャブたち』を著したジョーンズは、国民投票後、ただちに『ガーディアン』に論稿を寄せた。「嘆くなら嘆くがよい――しかし目の前の大きなチャレンジに備えよう』と題する文章のなかでジョーンズは、今回の投票結果はまさに「労働者階級の反逆」だったと位置づける。そして、既存の政治が彼らの抱える不安や困窮に応えられなかったことに最大の原因を見たうえで、離脱票を投じた彼らを非難することは、「ますます事態を悪化させるだけだ」と主張する。なぜなら、「離脱票を投じた人々の多くは、すでに(傍点水島)除け者にされ、無視され、忌み嫌われてきたと感じてきた」からである。
 その彼らへの軽蔑こそが、今回の投票結果を生んだのであって、その軽蔑の念を一層強め、言語化したところで、問題は解決するどころか深刻化の一途をたどるだろう。(p.186-187)


2016年のイギリスのEU離脱の国民投票について。ここで指摘されている点は非常に参考になった。こうした置き去りにされた人々に対して、たとえ少しであっても意見や不満が聞いてもらえたと実感できるような政治が出来れば、ポピュリズムの台頭を抑制する方向に作用するだろう。

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