アヴェスターにはこう書いている?
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『中央公論 2017年3月号 特集 ふるさと納税の本末転倒』
特集 ふるさと納税の本末転倒 「鼎談 そして、都市の逆襲が始まる……」より

片山 それから、どこかの自治体で、「寄付していただけたら実家などの雪かきをします」というのがありましたよね。これも物欲とはちょっと違う。そういう社会貢献とか地域貢献とかに限定した制度にリニューアルするという行き方は、一つあるだろうと思います。(p.37)


ふるさと納税と呼ばれている寄付金控除制度を何らかの形で存続させるのであれば、基本的にこうした方向に改正していくべきだろう。現行の制度のように、「2,000円の支払いで商品を買う」ような制度では、公共的なものというより私的な買い物(それも富裕層ほど有利な!)になっている。



石破 「物欲競争になっている」という批判はよく分かります。ただ、これも全否定すべきものではなくて、この制度を始めたからこそ「自分の地域の魅力を再発見しよう」「うちの町の素敵なもの全国にアピールしていこう」という一大ムーブメントが起こったのも、事実なのです。(p.38)


本書でこの鼎談の後に掲載されている幾つかの自治体の取り組みの状況などを見ると、確かに石破茂のこの指摘には一面の真理が含まれている。

しかし、それに対しても批判するとすれば、次のように言うことはできる。こうして探そうとする「自分の地域の魅力」のうち、活用されるものは大部分が商品や産業に偏るようなバイアスが、この制度にはあるということである。また、自分の地域の魅力を再発見しようという動きは、この制度がなくても各地域がすでに取り組まざるを得ない状況に置かれる中で取り組んでいるというのが実情ではないか。

この制度によって基本的には大都市から地方の市町村へと税源が移る傾向はあるようだが、税収が減る自治体は、交付税による穴埋めで大部分は埋まるが、歳入が増える自治体も、財政を見ると、お礼の品のために使っている金を考えると、財政的にはそれほど足しになっていない(むしろトータルで見ると悪化する圧力となっていると思われる)。もっとも、財政としては支出することになるお礼の品に充てる金も、地元の産業に回るということを考えると経済効果は多少なりとも認められるようであり、評価は難しい。



特集 ふるさと納税の本末転倒 別所俊一郎 「地方財政の格差はいかに是正されるべきか」より

 制度の趣旨からは、「選ばれた」地方政府の収支が改善し、逆に選ばれなかった地方政府の収支が悪化すれば足りるように思われる。しかし、現状では選ばれなかった地方政府の収支はそれほどは悪化せず(地方交付税交付金を受け取らない不交付団体では大きく悪化する)、国の収支の悪化をもたらす。(p.81)


中央政府の財政収支が悪化するという指摘は、この論稿を読むまで気づかなかった点であり、参考になった。ある意味、「選ばれた」地域の地場産業などに対して補助金を配ったり、公共事業を実施するような側面もあるということだろう。



 正常な価格のついた市場取引を通じた販路の拡大が地方創生には不可欠であり、政策に依存した生産者が増えることは健全な地域振興とは呼べないだろう。(p.83)


産業の振興という結果が出ているかのように見える場合であっても、それは公共事業としてその産業に金が払われているようなものであって、それは健全な地域振興とは言えない。全くその通りである。それに、この金もいつ来なくなるかわからないような安定性のないものである点にも留意したい。



 しかし、ふるさと納税にはこれまでに述べてきたようなさまざまな問題点があり、徴税権を持つ地方政府が他地域からの寄付に頼りかねず、自地域の住民と向き合わなくてもよい制度となっている。(p.83)

確かに、自地域の住民より他地域からの寄付をどう集めるかという方向に関心が向かってしまう制度と言えるかもしれない。

ただ、自分の住む町の魅力や強みのようなものを見つけ出そうと努力するとき、間接的ではあるが自地域の住民の活動などに対しても配慮することになりうる、という反批判は可能かもしれない。例えば、このエントリーの最初の引用文で片山善博が語っているように、商品による競争ではなく、地域貢献的な社会活動という形で寄附に対して応えて行くならば、現行制度よりは自地域の住民と向き合ったものになりうるのではないか。



特集 新書大賞2017 「大賞 言ってはいけない」より

 建前よりも本音が優先される時代。本書は、時代の風を掴んだ一冊とも言えるだろう。(p.121)


「建前」はエスタブリッシュメントの世界に属しており、「建前」の世界にとってのタブーを語る「本音」は反エスタブリッシュメントの色彩を帯びている。ある意味、反エスタブリッシュメント的なものが説得力を持ってきている時代を反映しているということだろう。

私は未だこの本を読んでいないが、一読はしておいてもよいかもしれない。



特集 新書大賞2017 「対談 厳しい時代に“骨のある”レーベルが生き残った」より

渡邊 そうですね。新書は教養の入門書として書かれたものもありますが、ニュースを迅速に書籍化する媒体でもある。(p.151)


確かに。大学の学部生あたりには、できれば良質の新書をある程度の数読み、新書の程度の内容は容易に理解できるようになってほしいと思う。



永江 読書といえば、黙読を創造しますが、1000年以上前は、一つの書物を大勢で音読するものだった。また、書物は貴重で高価なので、読書は貴族しかできないことでした。だからここ100年が、多分、日本人にとって読書の黄金時代だった、ともいえるでしょう。(p.154)


確かに。



永江 新書市場があふれかえっている、と言われますが、2016年を振り返って思うのは、読むべきレーベルは絞られてきたな、ということです。新書は1938年の岩波新書の創刊以来、今が四度目のブームだそうですが、幾度かのブームを経た結果、読むべきレーベルと読まなくていいレーベルがはっきりしたように感じます。新書“御三家”の岩波、中公、講談社。ちょっと岩波新書のパワーダウンが気になりますが、あとは“新御三家”の、ちくま、新潮、光文社、それに集英社、幻冬舎。平凡社も渋い本を出しますね。ここらへんでしょうか。やっぱり出版社も人材や知識や、いろいろな要素の蓄積が必要なんですよ。(p.155-156)


この指摘は私が新書に対して漠然と感じてきたことをかなり明確にしてくれた。私の場合、新書を買う際に参考にする情報の一つは、どこの会社の新書か、という点を参考にしている。同じ著者が書いた本でも、どのレーベルかによって内容の掘り下げの度合いや、政治的な立ち位置のニュアンスや論理の運び方まで違いがあるように思う。

個人的には中公新書が掘り下げて論じる度合いが高いと感じており、一般向けであっても一番学術的なレベルに近いものが多いように感じる。(その分、読者の理解力や知識が要求される。)この対談によれば中公は歴史に強いと指摘されているが、その点も納得した。

岩波新書は確かにパワーダウンと言われているとおり、掘り下げが足りない本も結構散見される。ただ、現在の社会に起きている問題、それも新聞やニュースだけではなかなか見抜けないようなところまで気づかせるような内容のものが多いように思う。その意味で、入門としては最低限使えるので、このレーベルには失敗がないという安心感がある。

ここで触れられていないものとしては、朝日新書なども濫立した新興レーベルの中では、私としては知りたいと思えるテーマを扱っていることが多い。しかし、何となく買って読むほどの深みを感じないようなテーマだったりするので、それほど多くは読んでいないが…。

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