アヴェスターにはこう書いている?
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待鳥聡史 『代議制民主主義 「民意」と「政治家」を問い直す』(その2)

たとえば、有権者の視野が狭く、民意が移ろいやすいとしても、議員に十分な裁量範囲が与えられているのなら、裁量範囲を活かした議員の自律的な政策決定によって、選挙公約とは異なるが、結局は有権者に最大の利益をもたらすことが起りうる。
 逆に、権力分立をしていたとしても、異なった種類の政治家がすべて選挙時の有権者からの委任に厳格に拘束されるとすれば、妥協の余地がない政策決定はすぐに行き詰まり、有権者にはマイナスになってしまうであろう。つまり、委任と責任の関係における説明責任を果たすことは、民意に忠実であることと同じではない。(p.137)


民意に完全に忠実ではなくても、有権者にそれなりに納得できるような説明ができるような政策を実施することが委任を受けた者には求められる。



 議員や官僚の仕事を無償のヴォランティアにしたり、人員をできるだけ削減して一人当たりの業務量を増大させ「何でも屋」にしてしまうことは、委任内容を曖昧にし、制裁が難しくなることにつながってしまう。そもそも誰が担うべき仕事だったのかが分からなければ、適当にやっつけ仕事として済ます、あるいはやらずに済ませるという誘因を与えているのと同じことになる。委任内容が曖昧な仕事について、不始末の責任は問えないからである。議員や官僚の業務内容は、代議制民主主義が円滑に作動しているときには意識されにくく、ともすれば無用にすら思える。もっとたくさんの仕事を、もっと少ない人数で、もっと安くできるような気がするのも分からないではない。
 しかし、意識しないからといって存在していないこととは異なる。……(中略)……。
 ……(中略)……。委任と責任の連鎖関係を曖昧にし、政治家や官僚の業務を「何でも屋」にすることは、一見したところ代議制民主主義に要する費用を削減するように思える。だが、実際には委任内容が果たされなくなり「タダより高いものはない」という状態を招く恐れが大きい。ヴォランティアとして、あるいは極めて低水準の報償であっても、みんなのためになることなのだから献身的に奉仕すべきだ、というのは、誘因構造を無視した精神論か一時的なカタルシスに過ぎない。
 必要な改革は、むしろ逆の方向にある。委任と責任の連鎖関係を円滑に機能させることで代議制民主主義をより良いものにしていくには、適切な誘因構造に基づいた明確な契約関係の構築が不可欠である。すなわち、誰に何を委任するのか、委任内容が果たされた場合にいかなる報償を与えるのか、あるいは果たされなかったときにいかなる責任を問い、制裁を加えるのかについて、できるだけ明示するとともに、褒賞や制裁の水準を適正化することが必要となる。
 それはとりもなおさず、委任と責任の連鎖関係を規定している執政制度と選挙制度の改革を意味する。委任先である政治家や官僚が担う業務や裁量の範囲、複数の委任先の間に存在する役割分担、そして説明責任を確保する手段、これらを規定するルールを変えることで、政治家や官僚を「より上手に使う」ようにすることが、世界的に見て代議制民主主義を改革する上での焦点なのである。(p.202-204)


議会の定数削減などの議論が適切ではなく、執政制度と選挙制度を変えることで政治家や官僚をうまく使いこなせるようにすべき。まっとうな意見であり、議員や官僚が何をしているかが一般に知られていないことが誤った意見がまかり通る背景にあることも指摘されているが、現実問題として政治家は別としても個々の官僚の動きを直接有権者が知ることは極めて難しいし、必ずしも適当でもない。その意味では、政治のこうした仕組みを教育の段階から深く理解させられるような教育が必要であるように思われる。



アメリカで生まれた大統領制は、議会の暴走すなわち「多数者の専制」を拒否権などによって大統領が止めるという構想から出発したが、20世紀に入ると政策課題の複雑化や困難化に対応して、大統領と官僚の役割が拡大した。今日の大統領制は、執政長官の暴走を議会が止めるのが基本的な構図になっている。これが先にふれた大統領制の現代化である。(p.216-217)


興味深い変化。三権分立のうち行政が強くなったことがこうした変化をもたらしている。これを前提すると必要なのはいかに行政に対する歯止めを設けるか、ということになる。特に官僚よりもそのトップに対する歯止めが重要である。



有権者から説明責任を果たすよう求められることと引き換えに、一定の裁量と自律性を政治家に認めることによって、現在の有権者には不人気な政策決定を可能とするとともに、民意の一時の動きが致命的な悪影響を及ぼさないようにするところに、代議制民主主義が自由主義的要素を持つ積極的な意義がある。(p.252)


現在の日本の政治で問題なのは、説明責任を果たさなくても政府が裁量で何でも決めることができてしまうことにある。集団的自衛権の閣議決定やそれに続く安保法制などがその典型だろう。説明責任が果たされていないことを判定する基準を設け、これを満たさない決定を強行した場合には、政府(行政)に対して内閣不信任などのペナルティを課すような仕組みが作れないだろうか、などと考えさせられる。

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