アヴェスターにはこう書いている?
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竹崎孜 『スウェーデンの税金は本当に高いのか』(その2)

 しかも国内ではとかく、日本社会の高齢者増加が世界のどの国も経験したことのなかった非常事態として、不可抗力だったかのごとく強調されてきた。ところが、スウェーデンでは、1890年に世界に先駆けて高齢化社会となり、1975年には遂に高齢社会へ突入したが、国民の生活安定を図る政治をいち早く展開していたので、高齢社会をものともしなかった。
 日本は、視線が経済成長へ向いても、国民生活からは目をそむけ、あげくには長寿化に付随する数々の社会変化を無視したため、社会問題を山積させてしまったのである。(p.52)


最後の一文の指摘は、日本の政治と社会の関係を的確に指摘していると思う。



 国民へ還元される予算のうち、なかでも生活にもっとも密着するものが社会保障関係である。旧総理府がかつて公表した古い資料によれば、税・社会保険料に対する社会保障還元率の比較表では、第1位がスウェーデンの75.6%、引き続いて英国やドイツがおよそ59%、そして米国が53.2%となっているのに比べて、日本は41.6%の最下位にとどまっていた。(p.53)


予算を生活を直接支えるために使わないのが日本の特徴であり、このため各家計では本書の言う「固定家計費」が多額に必要となり、これが階層が固定化され、貧困層の厚みが減らないことにつながるなど、様々な社会問題へと繋がっていく。

税収がもっと必要であるとしても、税収の配分(産業から生活へ)も見直しが必要である。なお、税収を得る方法は、もちろん累進課税を強化するような方向性以外には適切なものはないということは付け加えておく。



高校や大学への進学のためには学校の勉強だけで充分とされ、成績表すら小学6年までは競争心をあおるとして廃止となった。(p.66)


成績表の廃止というアイディアはいろいろと考えさせるものだ。確かに、数字や三重丸などの他人と比較できるような評価を科目ごとにつけることは、このくらいの年齢の子どもには必要ないかもしれない。ただ、日ごろの取り組みの様子や達成の度合いに対して、一律で比較できる記号によってではなく、教師側からの言葉によるフィードバックという形をとることなどは考えられるように思う。そうしたやり方は教師側の負担増となり、そちらの面も含めて総合的に考えていく必要がある。



ただし、働きながら将来の進路を探り、やがて大学などでの勉学を再開するのが通例となっており、高校から大学への直行ではなくても不利でないばかりか、むしろ、熟考ののちに将来像を描くほうがかえって有利とされる。(p.66)


この仕組みは良いと思う。現在の日本の学校制度では、学校を卒業して就職するにしても、高校や大学を出た後の職業について具体的なイメージを持つことが難しい。生徒や学生はそうした中で就職先の選択を迫られる状況である。スウェーデンのように高校を出たらいったん就職した上で、自身の適性や仕事の具体的な内容などを理解した上で大学で学び直すというシステムには合理性がある。ただし、大学がそうした知識を授けたり、そのために必要な議論をする場として機能すれば、という条件が加わるので、日本の大学にこうしたことが期待できるのかは、やや心もとない気はするが。



「税金は、あらゆる社会で国民的目的の共同費用として集められるが、国民が税金をいくら払うのかは、社会が引き受けた健康、介護、教育、住宅などに関する責任範囲で決まる」(p.95)


これはスウェーデンの繁華街にある広報センターで配布されている資料の序文であるという。

こうした説明は日本ではなかなか受けることができない。学校でもメディアでもこうした基本的な考え方は明確に説明されることがない。まずはこうした知識環境から変わる必要があるように思う。



 課税が経営へおよぼす悪影響はなるほど一部企業にはあてはまるであろうが、税金を支払えない企業であれば、おそらく生産性は低い、賃金は安い、労働時間は長い、あげくに雇用は不安定など、労働者の職と生活の安定をおびやかしており、それだけでも社会の利益に反するという。よって、自由競争に耐えられない企業は、将来の発展性も期待できないから淘汰が望ましい、と容赦しない。
 ……(中略)……。
 社会保障税が制度化された根拠のひとつは、企業の人材育成や教育にかかる費用のすべては公費、すなわち税金が投じられており、したがって、社会が育成した人材のコストを支払う責任が企業にはあるとされる。さらには、企業活動が可能であるのも、社会のインフラストラクチャーが利用できるからであって、この視点からも社会コストは企業経費に含められるべき、つまり費用の分担をすべきと解釈される。(p.123-124)


スウェーデンで社会保障税が全額企業負担の税とされる理由。非常に筋の通った考え方になっていると同時に、日本の考え方がいかに企業に甘いのかということも感じさせられる。

税金が払えない企業は被用者の労働環境も悪いだろうというのは使える論理だと思う。さらに言えば、税金を払いたくない企業であれば、同じように被用者からも搾り取ろうとするだろうから労働環境も悪いだろう、とも言うべきであり、こうして内部留保や経営側の超高額報酬も可能となっていると捉えるべきだろう。

倒産した後に次の企業が現れるかどうか、失業者のうち教育やスキルが十分高くない者が再就職できるかどうか、といった問題が日本での議論からは出て来るだろう。スウェーデンでこうしたことが日本ほど問題とされないように見えるのは、それ以前の教育制度や再就職までの社会保障・職業訓練などが充実しているからであるように思われる。本書を通して見えてくる日本社会の問題点からは、生活を保障する体制がないことがどのような制度改革にもつきまとう障害となっていることがわかる。

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