アヴェスターにはこう書いている?
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浅野和生 『親台論――日本と台湾をむすぶ心の絆――』

 ところで、鄭成功は、2万5000もの軍勢をもって台湾へ移ってきましたから、食糧増産をしなければ軍を養っていけません。それで、台南を中心としながら、北は嘉南平野へ、南は高雄平野へと軍隊を分けて屯田開墾を進めさせることとしました。この地域にみられる、左営、新営、柳営、林鳳営などの「営」のつく地名や、前鎮、後勁などは、いずれも、もとは鄭氏の軍隊が開いた開墾地なのです。(p.72-73)


台湾の地名は(その歴史に示される通り)、外来の支配者が台湾に入ってきたときに原住民と外来の者たちがどこで生活したかということと関係が深いものが多いように思われる。



当初、芝山巌に設置されたのは、国語伝習所、つまり日本語教育の学校でした。その三年後、1898年には、名称が公学校に変更され、各地に広く設置されていきます。
 そこでは、修身、作文、読書、習字、算術、唱歌と体操の授業が行われました。一方、先住民に対しては、蕃人公学校が作られ、国語、算術、修身のほか、農業、手工芸、唱歌の授業が行われました。蕃人公学校には、職業訓練所の意味合いが持たされていたわけです。また、日本の内地から台湾へ行った人びと、当時は内地人と呼ばれていた日本人の子弟が通うのは日本と同じ小学校でした。これは、もともと日本語が使える人たちですから、日本の内地と同じ教育が可能だったわけです。(p.92-93)


日本統治時代の台湾の教育について分かりやすい説明となっている。内地人、漢人系の本島人、原住民とでそれぞれ学校が区別されており、教えられる内容にも相違があったことが分かる。本書の論調としては(他の箇所でも同様の傾向があるのだが)、植民地支配には負の側面はあったにせよ、言語(母語)が異なるため学校も区別することには合理性があったとして正当化しようとしているように思われる。

確かに、母語が異なる集団に対しては、別のクラスに分けて教育するというのも一つのやり方であるのは認めることができる。ただ、教育内容については、次の点を指摘しておきたい。日本語を国語とする場合、日本語を母語とする人々に比べ、それ以外の言語を母語としている人々には日本語を教えることにより多く時間を割かなければならないかもしれないし、教科を教えるにしても母語以外の言語で授業をするならばより多くの時間をかけなければ同じ内容に到達できないことが多いとは言えるため、カリキュラムにも工夫が必要なのは確かだろう。しかし、本書の記述にもあるように原住民の学校は職業訓練所の意味合いがあったとするような点は、それらのグループ出身者に対しては卒業後の進路の自由度を下げるような制度になっており、差別として機能する制度であったことを指摘しなければならない。(なお、日本語を国語としてそれによって教えるということ自体が特定のグループに有利に働くものであり、これを前提とする植民地支配という枠組み自体も問われなければならないのは言うまでもない。)



 台湾が大日本帝国憲法の例外地域でなくなるのは、大正11年、1922年のことです。日本国内でも大正デモクラシーで民主化が進んだこの時期、大正12年の1月1日をもって、大正11年の法律第3号、つまり法3号の体制に移行したのです。これによって、原則として日本の内地の法律を台湾にも適用する、内地延長主義に転換しました。
 このときの総督は、軍人ではない文官総督の田健次郎でした。それでも、台湾の特殊事情で、本国の法がそのまま適用できない場合には、律令が制定できる権限は残されました。(p.97)


北海道において区ではなく市が置けるようになったのも同じ年のことだったが、繋がりがあるのだろうか?



 日本統治以前には、キリスト教の宣教を兼ねた西欧からの医師の移住、病院の開設がなかったわけではありませんが、全般的には、民間伝承療法が中心で、漢方医がいるだけでした。つまり、日本の国内法規を適用すると、医師免許を認められる医者はほとんど皆無だったわけです。
 当然、西洋医学を身に着けた医師を、早急に増やさなければならないのですが、それだけでは当面の必要を満たせませんから、伝統的な医療を行ってきた医生に研修を受けさせ、登録させて、医生が治療行為を継続できることとしました。こうしたことは、台湾が大日本帝国憲法を柱とする日本の法制度の外に置かれていたからできた措置です。(p.105)


ここにも先ほど指摘した本書の傾向が出ている。内地と外地を区別して統治したことには、それなりの合理性があったと言いたいのだろう。ただ、この場合も仮に同じ憲法の枠内にあったとしても、「台湾では医師免許の扱いについて内地と違う扱いを認める」という内容の法律を作ればほぼ同じ効果が得られる。(もちろん、現場で決定できるのと一地方として決定に参画できるだけであることとの相違は残るが。)

憲法の枠外にあり、強い権力を持つ総督がいることで、次々と現地で必要な決定が行えるようになったというのはその通りではあるが、やや歴史を正当化し過ぎだろう。これだけ強権的な権力の支配下に置かれた人々の境遇や法的地位が異なることによる差別なども指摘が必要であると思われる。



 台湾の最南端、屏東県に、八田與一の烏山頭ダムとほぼ同じころに工事を行っていたのが、鳥居の地下ダムでした。これは、地上の川ではなく、地下水脈を地下でせき止めてその水を地上に導き、地域一帯の灌漑用水と飲料水として用いるという、まことに画期的な土木、建設事業でした。
 しかも、八田の事業が、総統府(ママ)の資金による、いわば国家的プロジェクトであったのに対して、鳥居の仕事は、台湾製糖という民間会社の事業だったのですが、その工事の質は高く、85年余を経た今日も、その大部分は当初の機能をそのまま果たしているのです。(p.116-117)


台湾に貢献した日本人として後藤新平、新渡戸稲造、八田與一などは多くの本で言及されるが、鳥居信平もしばしば挙げられる。前三者は総督府の一員として台湾にいろいろなものを残したのだが、個人の力によるというよりは、官僚として与えられた職務を立派に果たしたという種類のものであると理解しておくことは重要である。しばしば、このあたりの話は現実からやや離れた美談として語られる傾向も見られるからである。



 さて、用水路建設を予定する一帯は、先住民族のパイワン族が住むところなのですが、それは漢人が住まないところ、つまり農業その他の産業に適さない地域であったことを意味します。
 清朝統治の220年の間に、漢人が手を付けなかったからこそ、それほどの高地、山間部でないにもかかわらず先住民族の地として残されていたわけです。(p.118)


鳥居信平の地下ダムの話の続きだが、台湾における諸エスニック集団の歴史的に形成された配置についての的確な指摘がなされている。



 1942年からは、台湾で志願兵制度が実施され、1944年までに、陸軍特別志願兵、海軍特別志願兵、そして高砂義勇隊として日本軍人となった台湾の人々は1万7000人余りにのぼりました。
 しかしながら、日本の戦況が悪化するにつれて兵員の損耗が急増すると、台湾でも1945年には徴兵制が施行されるようになります。こうして、1945年までに軍人となった台湾の人々は、合計8万433人、このほかに軍夫や軍属として従軍した人が2万6750人で、総計10万7183人の人々が軍務に従事しました。

 そして、日本のために戦死した人は、合計3万304人に及びました。これらの人々も、靖国神社に祀られています。(p.132-133)


従軍した人の3割弱が戦死したことになる。靖国神社には日本の体制の側に立って戦争に参加して死亡した者が祀られるという仕組みであるため、本人や遺族が靖国神社には祀らないで欲しいと主張していても一方的に祀られてしまう。「国家」を中心とする考え方に基づいて選別していること、関係者の意思も無視していることなど、いずれも個人よりも「国家」を上位に置いた考え方となっているが、これは為政者(権力者)にとって好都合だが、被治者にとっては有害な考え方である。



そして長年居座っていた万年議員による間接選挙であった総統、つまり大統領が、1996年からは、台湾に住むすべての成人男女の直接の投票で選ばれるようになります。

 こうして、1996年には台湾は民主的な国として生まれ変わりました
 その第一回民主化選挙で国民の手で選出されたのが、李登輝総統でした。
 これはまた、大陸中国から移転してきた中国の政権としての中華民国による台湾支配から、台湾の人々自身が選んだ指導者による台湾の統治への移行を意味していました。つまり、中華民国の統治体制が外来のものから、台湾土着のものへと変化したことを意味します。中華民国の台湾化ということです。(p.188-189)


このことの意義は非常に大きい。



本書では、近隣に日本に親しみを持つ国がない中、台湾だけは違うので、そうした隣人を大切にすべきだとされている。それはそれで間違いではない。しかし、本書では日本に親しみを持たない国として北朝鮮のほか中国、韓国を想定して、これらを「反日」として規定し、いかにこれらの国が良くないか、おかしなことをしているか、といった論が展開される。これは外交的な考え方としては全く的外れな議論である。なぜならば、外交は、敵を味方にすること、味方にできない場合でも中立化することがなすべきことだからである。

本書はこれら近隣諸国を自ら敵視し、相手国の敵意を煽るような言論を展開することで、敵対関係をより強めるような議論が為されており、国際関係をより悪化させる考え方でしかない。(仮に中国や韓国は「嫌い」だから仲良くしたくない、といった類の想念が心中にあるために、こうした論になっているのだとすれば、それは政治という結果に対する責任が求められる領域で発言するだけの政治的成熟をしていないということである。)

私としては、日本の人々が台湾と親しくすることには全く異存はないし、日本の人々は台湾の歴史を知らな過ぎるので、台湾の社会や歴史に関心を持つことは非常に大事なことではあるが、国際関係を持ち出して日台関係を親密にすべきと言うのであれば、どうすれば中国や韓国との関係を良好なもの(害がないもの)にしておくことができるか、ということにも知恵を使って欲しいものである。

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