アヴェスターにはこう書いている?
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ヴォルフガング・J・モムゼン 『マックス・ヴェーバー 社会・政治・歴史』

問題は明白である。すなわちヴェーバーは、現代の党組織を、その階層制的・技術的・機能主義的特徴を強調することによって、オストロゴルスキの意味での「マシーン」の型とやや軽率に同一視しなかったかどうか、ということである。こういう疑問は他の場合にも、とくに官僚制概念についても湧いてくる。事実ヴェーバーの現代政党機械の描写は、彼の主観とはうらはらに、全体主義政党にピッタリのものである。(p.65)


最後の一文の指摘はなるほどと思わされた。ウェーバーの理念型は、価値自由に構成しようという努力は払われているが、その政治的な意味合いを明らかにしていくと、いろいろと問題が摘出できそうに思う。(少なくとも、政治以外の視点からの分析によって問題点を析出しようとするより、遥かに難易度が低いのではないか。)



第一に、「人民投票的指導者民主制」は、ボナパルティズムとカエサル主義の周知の現象に、ある点で接近していると言うことができる。支配する者と支配される者との関係が、人に結びついた激情的な性格のものであること、これが両者に共通している。選挙は公然と人間的=人民投票的性格を帯びる。選挙行為は「賛同」の形に近づく。すなわち、勝利を得る政治家の純個人的な指導者資質の承認という形に近づく。(p.79)


人民投票的指導者民主制においては、選挙では、ある政治家が行おうとしている(とされる)「政策」が選ばれるのではなく、「リーダーとしての資質」さらに言えば「人間性」や「人柄」(に対する有権者が抱くイメージ)によって当選者が決められるということだろう。これはまさに21世紀初頭の現在世界中で起こっている潮流と合致する。ここでは、選挙は政策決定ではなく人気投票に近づく。

ウェーバーが人民投票的指導者民主制の議論において決定的に見落としているのは、このように選ばれた指導者が独裁的な権力を行使し、被治者の人権を(生存権を含めて)決定的に奪い得るということである。こうしたリスクに対して、ウェーバーは次の選挙で落とせばよいとも主張していたようだが、言論や情報の統制により正しい判断が出来ないように仕向けられるリスクもある。こうした致命的な政策が実施される場合、数年ごとに行なわれる選挙で落選させるという選択では遅すぎる。

最近、待鳥聡史の『代議制民主主義』を読んでいるところだが、この本に対する私の(読んでいる最中の)理解に従って、ウェーバーの議論を特徴づけてみたい。人民が国の政策を決定しようとする民主主義的な要素だけが強調されることになると全体主義になる危険があるが、代議制民主主義というのは、議会という自由主義的な要素(エリート間の競争による権力の相互抑制)によって民主主義のそうした行き過ぎを抑制する制度として機能してきた(近頃は機能不全になってきているが)。民主主義が行き過ぎると全体主義に転化するため、必ずそれを抑制する別の原理が必要だというのが私がこの本から受け取っている理解であり、ウェーバーの議論もまさに「民主主義の過剰」の典型であるように思われる。また、ポピュリズム的な政治家の台頭もまた、同様に「抑制を欠いた民主主義」の要求を背景としているように思われる。



指導的政治家は――彼の術語の意味で――完全にカリスマ的な特質を備えている。政治家はもっぱら自分自身と、自分が特定の個人的価値理想に照らして選びとった課題とに対して義務を負う。彼の責任は「証すること」に限定される。すなわち彼は、彼のひとそのものに対する従士団の無条件の帰依が内面的な根拠に基づくものであることを、結果によって証明しなければならない。これに反して、大衆の物質的目標に対する義務づけは一切ない。民主主義的指導者は彼の選挙民の負託を実行せねばならなぬ、という理論の残滓は、すべてヴェーバーの断固として排撃するところとなった。(p.193)


ウェーバーの人民投票的指導者民主制の恐ろしい所は、まさにここにあると思われる。「政策」ではなく「人」が選ばれるが故に、指導者に選ばれた者はやりたい放題で、大衆の利益など全く顧慮に値しないとされる。現実には、有権者たちは自分たちに指導者が利益をもたらしてくれるかどうかをかなり計算に入れて指導者を評価するだろうから、理念型の通りにはならないだろうが。


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