アヴェスターにはこう書いている?
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ライプニッツ 『単子論』
この『単子論』は岩波文庫版であり、訳者は河野与一である。

『説』le systèmeは17世紀及び18世紀前半に於ては今日の「体系」の意味に用ゐられたことは寧ろ少く、普通には「意見」「見解」「説」「仮説」の意味に用ゐられてゐた。(p.61)


訳注より。用語の意味の変遷は面白い。次に知りたいことは、何が契機や背景となって意味の変化が起こったのか?である。



 ここにライプニツの最善観 l'optimismeが現れてゐる。現実の世界は可能的世界の最善なるものである。最も豊富な合成体で、場所が最もうまく利用されて、できるだけ多数の要素を含み、而もその要素は展開して最も完全な調和を実現するやうになつている。勿論さう云つたところで世界が毫も悪を含まないといふのではなく又悪の量が少いといふのでもない。創造に先立つて可能的なものの中に豫め必然的に存した不完全性は神と創造物との区別をつける点であつて創造の後にも消滅せずにゐる。さうしないと想像につて神と同じものが出来ることになるから不合理である。然し神の選んだ世界は悪の量ができるだけ少くなつてゐる。(p.268)


訳注より。最善観とされているものの意味内容が理解できたように思う。ただ、不完全性は神と被造物の区別のために必要だとする理由づけは、誰もが承認しうるような議論とは言えず、キリスト教の特定の考え方に抵触しない世界観を表現しなければならないという前提のもとで、その前提から発してひねり出された理由としか思えず、説得力には乏しい議論と言わざるを得ない。また、ライプニッツの哲学全体に言えることだが、これこれのものとして観察し、確認された事実を述べているところは形而上学的な著作においてはほぼないと言ってよいほどであり、これに代わって上記のような前提からひねり出された発想に基づく想定をあたかも事実として扱い、それによって前提に抵触せずに説明できたことにライプニッツは満足しているように見える。(こうしたことはライプニッツに限らず、同時代の哲学にはよくみられるが。)



私はこの作用力があらゆる実体に内在し如何なる作用も常にそこから生ずると説く。従つて、物体的実体でも(精神的実体と同様に)作用を止めることは決してない。物体的実体の本質が専ら拡がりにのみ存する、乃至不可入性にのみ存すると考へ、物体はどう見ても静止してゐるものだと考へる人々は、十分この点に気附いてゐないやうである。(p.470)


これは「単子論」ではなく「第一哲学の改善と実体概念」という論文からの引用だが、例えば、デカルトは物体を「延長」として規定したが、「延長」や「拡がり」や「侵入できないこと」といった性質によって物質を規定する場合、極めて静態的なイメージにより理解されることになるが、ライプニッツはこれに対して、「実体」をより動的なものであると捉えているところに特徴がある。観察者の視点で書かれているが、システムの作動の局面を感得しているものと推察される。

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