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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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W.J.モムゼン 『官僚制の時代』(その3)

産業化の進展の結果として、ブルジョワ諸階級はいたるところで社会的にも政治的にも崩壊しようとしていた。所得構造の格差の急速な拡大は、19世紀初期にみられた中産階級の相対的同質性を破壊しようとしており、そのことがまた彼らのブルジョワ的エトスを根底から掘り崩したのである。ドイツの場合、この点で事態は特に悪化していた。ドイツ自由主義は、最も基本的な政治問題についてすら、もはや協調不可能な無数の対立拮抗する諸集団に分裂していた。自由主義は1900年頃には政治的にいつまで続くか分らないような挫折感に陥っており、自由主義者たちは政治的エネルギーを喪失し、政治的対立者たちの抵抗を克服するに足る機会すら失っていた。(p.128)


これは19世紀末の状況についての叙述だが、前段の所得格差の拡大が中産階級の同質性を破壊していたという指摘は、ピケティのデータが第一次大戦前のヨーロッパは極めて所得や資産の格差が大きな社会だったことを示していることと合致する。

この時代にドイツの自由主義が挫折感に陥り、政治的エネルギーを喪失していたというのは、現在の世界の情勢と通じるものがある。リベラルな政治的立場は、従来型の保守だけでなく、リバタリアン的な保守やより過激な反動主義者たち(後の二者は既存の秩序に対する拒否を伴うポピュリズムとも結びついている)によって押される傾向になっていることと重なる。そして、現在の世界は、ピケティが指摘しているように、世界大戦後の相対的に不平等が緩和された世界から、再び世界大戦前の不平等な社会に戻りつつあるのだが、これはリベラリズムが政治的な勢いを持てなくなってきていることとは深く関係しているのではないか。



人はすべて、自らの諸価値を選びとり、自らの生の過程においてそれらを立証してゆかなければならないとするヴェーバーの主張はニーチェ哲学から深甚な影響を受けている。(p.138)


この点に限らず、モムゼンはウェーバーに対するニーチェの影響やその精神的な近さを強調する。絶対的な価値に対する懐疑的ないし批判的な姿勢や、精神的貴族主義とでも言うべきメンタリティなど両者に共通する考え方は確かにかなりある。しかし、私の見るところでは、そうしたものは、ニーチェを読んで影響を受けたり学ぶというより、もともと同じようなメンタリティや考え方が(漠然としたものであっても)あり、だからこそ読んで共感し、(はっきりした形を与えられるなどして)表出しやすくなるというようなものであるように思われる。もしそうなのであれば、ニーチェとウェーバーの関係は、単純な影響関係というより、共通の基盤を持つ共鳴関係ということになるのではないか。こうした点への踏み込みがモムゼンには見られず、詰めが甘いと感じる。(モムゼンは歴史家であり思想家や哲学者ではないのでやむを得ないのかもしれないが。)



「訳者あとがき」より。

氏はこの著において、両義性と逆説にみちたヴェーバー思想の統一的な把握を志向し、そのことを、既刊のヴェーバー作品によりは、むしろ未公刊資料の重要性に着眼し、大々的な資料発掘と収集の束の中から手がかりを引きだそうとし、ヴェーバーの思想を制約した「時代的な係数の確定」を図った。(p.174)


「この著」とは『マックス・ヴェーバーとドイツ政治』である。モムゼンが既刊の作品より未公刊資料を重視したというスタンスに対しては、折原浩の『日独ヴェーバー論争』で批判されている。

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