アヴェスターにはこう書いている?
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マーティン・バナール 『ブラック・アテナ 古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ Ⅰ.古代ギリシアの捏造1785-1985』(その1)

人種主義はロック〔イギリスの哲学者、1632~1704〕、ヒューム〔イギリスの哲学者、1711~76〕などをはじめとするイギリス思想にもその影を落としている。彼らの影響は、ヨーロッパ人の大陸探検家たちへと同様に、とりわけゲッティンゲン大学においても顕著であった。この大学は1734年にハノーバー選帝侯も兼ねたイギリス国王ジョージ二世によって創設され、イギリス・ドイツ間の文化的架け橋となった。(p.71-72)


ゲッティンゲン大学の本書での扱いはなかなか興味深いものがあった。ドイツの大学については個別的な特性なども知りたい大学が結構多い。ベルリン、ハイデルベルク、フライブルクなど。ゲッティンゲンも注目に値する大学であるようだ。(日本語の一般向けの文献でこのことが十分に論じられているものはあまりなさそうだが。)



 プラトンの思想は、どの程度までエジプトと関係があったのであろうか?明らかにエジプト的なイソクラテスの『ブシリス』と似ていることはさておき、プラトンが一定の年月を過ごした紀元前390年頃のエジプトが彼の『国家』の中心的テーマであった。『パイドロス』において、プラトンはソクラテスに次のように言明させた。「彼[エジプトの知恵の神であるテウト=トト(Theuth-Thoth)こそ、数字と算数と幾何学と……すべての学問のもっとも重要なものを発明したのだ……]。
 プラトンは『ピレボス』と『エピノミス』において、文字の使用、言語、すべての科学の創造者としてのトト神についてさらに詳細にのべている。彼は他の箇所ではエジプトの芸術と音楽を賞賛し、それらをギリシアでも普及させるべきだと論じている。実際、彼の『国家』がエジプトにもとづいて書かれたものではないとする理由があるとすれば、彼がテキストの中でそう言っていないという事実だけである。しかしながら、なぜ言っていないかには、すでに古代において説明されていた。初期のプラトンの注釈者で、プラトンと数世代しか離れていないクラントルは次のように書いた。

 プラトンの同世代の人々は、彼が発明したとされる共和国は彼自身が考えたものではなく、エジプトの政治制度の引き写しにすぎないとこき下ろした。(p.124-125)


12年近く前(このブログを開設するより前)に読んだ、『吉村作治の古代エジプト講義録』でも古代エジプトの思想はプラトンの思想に影響を与えたことが示唆されており、当時としては目から鱗という感じであったのが想起された。



すでに触れたように、モンテスキューのようなヨーロッパ中心主義者ですら、エジプト人を最高の哲学者と見なしていた。(p.204)


こうした「エジプト人」観は現在では一般には共有されていない。むしろ、「古代ギリシア人」にそのイメージが移されている。「古代モデル」が捨てられ、「アーリアモデル」にとって代わられたことが、ここにも反映している。



 しかしながら、これらの評価のうちでヨーロッパ人にとってもっとも魅力的に思えたのは、彼らの模範的な統治制度であった。中国では、道徳・知識に秀でたものが試験によって選ばれ、さらにきびしい訓練・研修を受けたうえで政務にあたるという、因習を排した合理的方法による統治が行われていた。フランスでは、宮廷重農主義者たちのあいだで中国への格別の親近感があった。彼らはルイ15世〔在位1715~74〕を中国皇帝に見立てたり、自分たちを中国の文人階級になぞらえたりした。中国はこうした支持者たちのおかげで、フランスに大きな文化的影響を与えることができた。フランスにおける18世紀半ばの政治・経済改革、中央集権化や合理化は、そのほとんどとは言わないまでもかなりの部分が、中国に範を取って行われたのである。(p.205)


17世紀後半から18世紀半ば頃にかけて、ヨーロッパではシノワズリーが流行したと美術史などではしばしば言及される。しかし、政治や経済政策などに中国の影響があったとはあまり指摘されない。本書はシノワズリーが最高に流行した時代に政治や経済政策などで影響があったことを指摘しており大変興味深い。

美術史ではシノワズリーは異文化へのエキゾチックな興味の対象であったかのように扱われることが多いように思われるが、当時のヨーロッパの人々は中国に対して憧れを感じていたのではないか。

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