アヴェスターにはこう書いている?
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陳柔縉 『台灣幸福百事 你想不到的第一次』(その1)

事實上,如果台灣社會的物質文明發展程度可以畫成曲線,20到30年代,就有一段高坡,不失為一個豐富的年代,之後隨戰爭而滑落,戰後初期則低迷待甦,慢慢才在向上攀上。(p.5)


本書の一つ一つの記事を読み、それらを俯瞰してみると、こうした動き(20~30年代に物質文化が向上し、戦時中から戦後初期までは低迷しているが次第に向上し始める)をしていることが感じられる。まず、1920年代前後に近代的な生活に関する文物など(車、バイク、冷蔵庫、ヨーグルト、アイスクリーム、ミッキーマウスのようなアメリカのキャラクターなど)が次々と台湾社会にもたらされたことが見て取れる。その後、動きが鈍い時期が続いた後、60年代後半から70年代頃に社会の消費の様子が大きく変わり始めたことが分かる。例えば、インスタントラーメン、スーパーマーケットやコンビニ、クレジットカードなどの登場などがjこの時期に相次いでいる。

本書のように、はじめてのものに着目して、それを時系列で見て行くというのは、社会の変化を見るにあたっては分かりやすい方法の一つとなりうることがよく分かった。



一些富豪還賄賂官員,改變鐵道預定路線,以避開他們家的墓地。如此情狀,費時兩年,換了五次外籍總工程師,才造好十一哩路,還不到基隆。(p.14)


清朝の支配下にあった台湾において鉄道が敷かれ始めた頃の話。
1887年に工事開始したようだが、91年になるまで台北から基隆までの区間(20数キロ程度の距離)を開通できなかったという。私が台湾といつも比較する北海道では、鉄道は、小樽(手宮)-札幌間は明治12年(1879年)に測量開始し、翌年には30キロ超の区間を開通している。これと比べるとかなり進みが遅いと言える。そうした遅延の要因として、富豪が官吏に賄賂を渡して彼らの墓地を通るのを回避するように路線変更をさせるような状況があったというエピソード。2年の間に5人の外国人リーダーが交代したというのも興味深い。



英文的「公園」,最初意指王侯貴族富商獨占使用的狩獵和大庭園,擅入者不被處死,也會遭到嚴厲懲罰。十九世紀中期,封建制度崩壊,市民要求開放,「公園」才遂漸公共化,並成為近代都市結構中不可缺的元素。英國著名的海德公園就是這樣來的。(p.32)



大意は以下のような感じか。

英語で言う「公園」は最初は王侯貴族や富裕な商人が独占的に狩猟をするようなところであり、侵入者は死刑に処せられたり厳重な罰を受けるようなところであった。19世紀中期に封建制度が崩壊し、市民が解放を要求したため、「公園」はようやく少しずつ公共化し、近代都市システムの中で不可欠の要素となっていった。イギリスの著名なハイドパークはこのようにしてできた。

王侯貴族の私的なエリアだったものが都市の公共的なエリアへと変わったという指摘が興味深い。



私人醫院部分,30年代備置「X光線」已很普遍,只不過,珍珠港事變爆發,美日宣戰,英文變成敵國文字,讀1942年11月的興南新聞,會發現一日的報上,醫院廣告,這三個字突然消失,而被「理學診療科」取代了。(p.43)


30年代には「X線」という言葉はすでに広まっていたのに、日米の開戦によって英文字は敵国文字とされたため、42年の新聞ではX線の文字が消え、「理学診療科」に置き換えられていることを指摘している。



包著甜甜的紅豆、克林姆(奶油),在日本管叫這種麵包「餡パン」,是日本人的發明。1869年開業的木村家,率先把傳統和菓子的基本材料紅豆餡和西方麵包結合,創出紅豆麵包。(p.46)


甘い小豆やクリームを包んだパンを日本では「あんぱん」といい、日本人が発明したものである。1869年に開業した木村家は真っ先に伝統的和菓子の基本的材料であった小豆あんと西洋のパンを結びつけ、あんぱんをつくり出した。

大意は以上のようになるが、1869年というと明治2年であり、意外と早い時期に考えられたものであることに少し驚いた。当然、台湾には日本からあんぱんが入っていくことになる。



台灣人吃麵包已經很久,中年以上的台籍民眾不習慣講「麵包」,「胖」這個音才能勾起美味的麵包記憶。「胖」就是日語的麵包「パン」的發音,台語直接借用。(p.46)


パンという日本語も台湾語に「胖」入り、台湾ではかつては日常的に使われていたということか。中年以上の台湾籍の人がよく使っていたというが、本書は2011年に出ていることを考えると、70年代から80年代頃までよく使われていたのだろうか?(この頃に企業のグローバル化に伴い、台湾でも中国大陸と同じく「麵包」が使われるとすれば理解しやすい。)また、胖という単語が現在でも通用するのかということも気になる。



十八世紀後期,世界已經發現,從未有兩個人有相同的指紋。1891年,阿根廷的一位警官率先建立世界第一個罪犯指紋檔案,並創一套分析的方法。過沒幾年,日本司法省推動「指紋法」,法律還未立法施行,殖民地台灣已於1908年由台北監獄開始試辦。(p.56)



18世紀後期、同じ指紋を持つ人はいないことはすでに世界で知られていた。1891年にアルゼンチンの一人の警官が世界初の犯罪者の諮問の記録文書を作成し、分析方法を確立した。それから何年もしないうちに、日本の司法省は「指紋法」を推進し、法律が施行される前に植民地である台湾で1908年に台北監獄から試験的に運用を始めた。

大意は以上のような感じだが、植民地であった台湾でいろいろな社会実験的なことをしたが、犯罪捜査の方法についてもそれが行われたことがわかる。

この記述を読んで、連想したのだが、近年は植民地などというものはないことになっているが、ここ10数年ほどの間に、日本ではいろいろな「特区」を作って政策などを試しに行ってみるということがしばしばなされている。自治体などは競ってそれに手を挙げることがあるが、ある意味、こうした特区というのは、当時の殖民地と似ているところがあるのではないか?



當時報紙讚說,兩人除去舊禮,共乘汽車,是一場「文明結婚」。「文明」是台灣1910年代的流行語,中國亦然,意味追趕文明是流行。那個時代,往往捨棄東方舊俗,學著西方做法,就會被冠上「文明」兩字,代表進步。(p.92)



西洋式の結婚式で新郎新婦が車に乗ることがあるが、これを1915年当時の台湾の新聞では「文明結婚」と書かれた。「文明」は1910年代の台湾の流行語であり、文明の流行を追うことを意味した。あの時代、人々は往々にして東洋の古い習俗を捨て去り、西洋のやり方を学んで、その上に「文明」の2文字を被せ、進歩を代表させた。

1910年代の台湾で「文明」が流行語となっていたという点に注目した。最初の引用文やそれに対するコメントで述べたように、本書から1920年代前後(10年代から30年代)に台湾の生活水準が大きく向上したことが分かる。10年代に「文明」という言葉が流行したのも、その頃に続々と西洋の文化が入ってきたことを反映していると言ってよいだろう。


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