アヴェスターにはこう書いている?
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自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合 『あたらしい憲法草案のはなし』

 いままでの十三条は〈すべて国民は、個人として尊重される〉となっていましたが、憲法草案では〈全ての国民は、人として尊重される〉とあらためられました。
 「個人」と「人」。たった一字の差ですが、これは大きなちがいです。
 「個人として尊重される」といったばあい、ひとりひとりの個性や考えかたのちがいを尊重するという意味です。いっぽう、「人として尊重される」というのは、ひとりひとりの個性や考えかたはどうでもよく、人間としてあつかえばそれでよろしい、という意味です。きょくたんにいうと、動物あつかい(おりにとじこめる、くさりでつなぐなど)しなければ、それでよいのです。とくに「人として問題な人」の人権は、尊重しなくてよいでしょう。(p.38)


自民党憲法草案の問題点は多岐にわたり、まさに論外の案なのだが、よく指摘される点の一つは、この13条の規定で「個人」が「人」になったという点である。「人として尊重」というのは、「動物扱いしなければそれでよい」という読み替えはなかなか直観的に理解できる分かりやすい指摘であり参考になった。今後、憲法草案について人に説明するときに使えそうなフレーズである。



 ですので、「個人の自由は国より大事」という「個人主義」をぼくめつするためにも、「個人」を「人」に変えたのです。「個」の一字を削除するだけで、わがままな人はへり、政府や国の仕事をする人たちは、仕事がやりやすくなるでしょう。
 憲法草案は人権を剥奪する(うばう)のではありません。人権を制限したい(はんいをせばめたい)だけなのです。(p.39)


最後の一文は、自民党憲法草案の考え方の重要な点を、起草者の立場に寄り添いながら非常に端的に指摘している箇所である。人権を制限する、すなわち一部を奪うことで、「国」を動かす人々が何の障害もなく自分たちの思い通りのことができるようにしたい。これが自民党憲法草案を貫く考え方の非常に重要な要素であると言える。



 緊急事態のときは、国民の生活も大きく制限されます。
 〈 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない〉(99条)
 ……(中略)……。
 緊急事態宣言が出たら、みなさんは政府の指示(命令)にしたがわなければなりません。人権は制限されるか、停止されるでしょう。……(中略)……。
 表現の自由(21条)はまっさきに規制されるでしょう。まえにも申しましたように、表現活動は、もともと国の安定をそこねる元凶なのです。(p.51-52)


最後の一文の考え方は、自民党的な発想というべきものである。自民党そして、自民党憲法草案の発想は、「国」が「国民」を支配することが第一義的な出発点であり、「国民」は「国」の活動を邪魔しない範囲で自由や権利が認められるべきだ、という発想に立っている。少なくとも、「国」から「国民」に人権が賦与されている(保障されている)という考え方が基本となっている。これは個人の人権が先にあり、それを守るために政府が存在するという発想とは逆のものである。

もう少し具体的なレベルに落としてみると、日本国憲法では自由や人権に関連して「●●を侵してはならない」というような表現が多くみられるが、自民党草案では基本的にそれらの箇所は「●●は保障する」と書き換えられている。ここには主語が書かれていないが、日本国憲法では、まず個人が自由や権利を持っており、これを政府が「侵してはならない」と規定しているのは明らかであり、政府を規制する法となっている。これに対して、自民党草案では、隠された主語は個人ではなく「国」であり、「国」が「国民」に対して自由や権利を保障する、という書き方になっている。少なくともそのように読む余地を十分に残した書き方になっている。この発想は個人が権利を持つのではなく、「国」が「国民」に権利を与えている、という発想に立つもの、少なくともそうした考え方を排除していないという点で問題があり、また、憲法が政府を規制するのではなく、政府が国民への権利の付与の度合いを調整できる余地を与えている点で立憲主義の考え方にも抵触する点があることを指摘しておきたい。



 また、緊急事態条項は国民への命令をふくむ強い条項ですので、これを徹底させるには、政府をバックアップして国民をだまらせる強い力が必要です。そこでかつやくするのが「三」でおはなしした国防軍なのです。
 戦前の日本でも、日露戦争後の日比谷焼き討ち事件(明治38年)、関東大震災(大正12年)、2.26事件(昭和11年)のさいに、緊急事態宣言に似た「戒厳」という措置がとられ、軍隊がかつやくして国民をきびしくとりしまりました。
 憲法草案の三原則が「日ごろのそなえ」だとしたら、緊急事態条項は「いざというときの切り札」です。この両面からのまもりで、日本はますます強い国になるのです。(p.53-54)


「自衛隊」では、国民に向けての取り締まりはできないが、「国防軍」にすることによってそれが可能になるという指摘はなるほどと思わされる。

緊急事態条項について議論する際は、かつての戒厳令などが敷かれた際の歴史をしっかりと踏まえる必要がある。日本の戒厳令については私はそれほど詳しくないが、私が日頃から関心を持っている台湾の地は、戦後48年から87年までの期間、戒厳令が敷かれていたことがあり、「白色テロ」の名で呼ばれるような自由にものが言えない時代を経験していることは知っている。このことから、一時的なものであるはずの戒厳令が非常に長期にわたって恣意的に政権によって設定されることもあり得ること、それに対して抵抗しようにも言論や表現や結社の自由などが制限されるため事実上非常に困難な状況に置かれる可能性があり、また、そうした条件下で様々なこと(憲法改正国民投票や人権をさらに制限できるような法律の施行)が決定されていく可能性があること、少なくともそうしたことに大幅に余地を開けることになるということは理解しておくべきだと考えている。



 憲法で国家権力をしばる。憲法は国民から権力にむけられた命令である。このような考えかたを「立憲主義」といいます。立憲主義は、すべての国の憲法に共通した原則です。
 しかし、あたらしい憲法草案では、この原則が逆転いたしました。
 〈全て国民は、この憲法を尊重しなければならない〉(102条)
 世界じゅうの憲法で、こんな条文をもつ憲法はほかにありません。ですので、憲法学者をはじめ、おおくの人が「それはまちがっている」といいました。
 ですが、みなさん、それは日本ではなく、他の国がまちがっているのです。
 国の最高法規である憲法を、国民がまもらなくてよいなど、おかしいではありませんか。民のくせに国のリーダーに命令するなど、おこがましいではありませんか。(p.55-56)


自民党憲法草案が立憲主義に立たず、権力を持つ側が「国民」を規制しようという意図は明らかである。



 憲法を変えるということは、国のかたちを変えることです。そうして一度、国のかたちが変ったら、もとにもどすのは困難です。憲法は変えやすくなるのだから、いやならまた変えればよいと思うかもしれません。それはまったくまちがいです。
 この憲法草案がほんとうの憲法になったら、いろいろな人の意見をきいて、なにがよいかを国民みんなできめるという政治のやりかたではなくなるからです。国民主権は縮小され、基本的人権は制限され、情報は統制されますので、政府に反対する意見は日本から消え、国民は政府によろこんでしたがうほかなくなるでしょう。
 「強く美しい国」は、国外の敵(日本をこうげきしてくる国)と勇敢に戦い、国内の敵(政府に反抗的な人びと)を強い力でだんあつしなければ、つくれません。ですから憲法の三原則を変更し、国防軍をつくって、緊急事態条項をもうけたのです。
 ここでおはなしした以外にも、憲法草案にはおおくの変更があります。自民党の人たちは強い意志とかくごをもって、この草案をつくったのです。みなさんも、二度と引きかえせない道に踏みだすのだ、というかくごで、よくお考えください。勇気をもって憲法を改正すれば、みなさんも「強く美しい国」の一員になれるのです。(p.58-59)


自民党草案が憲法になってしまったら、本書が指摘するように人権や自由が縮小され、言論や情報も規制されるため、反対することが出来なくなっていくのは間違いなく、長い期間その支配下に置かれることになるだろうことを指摘しているが、正しい判断である。

変えてダメならまた変えればいい、という楽観的な発想を広めるため「お試し改憲」論が盛んに表に出て来た時期もあるが、そうした発想ではなく、より慎重な議論を行なわなければならないという考え方は広く共有されるべきである。

そのためにも、本書は自民党憲法草案の三原則を、国民主権の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限、であると喝破しているが、このことの持つ意味を一般に広めていくことが重要である。

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