アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

長谷川由夫 『あなたと子供が出会う本 こう“ほめる”と子供が伸びた』

 親の完全主義とは、無限大の要求である。親が無限大の要求をもって子に対するとき、結果は常に不満しかない。もし「あるがまま」を認め、要求度がゼロならば満足ばかり残る。(p.38)


完全主義とは要求であるというのは、確かにその通りであり、親が完全主義者である場合、子にもそれを押しつける傾向になるのはよく分かる。子どもの場合は通常の人間関係より一層要求が大きくなり、かつ、それに親の側が気づかないということになりやすいように思われる。その意味で、一般の人間関係においてもここで指摘されていることは成り立つが、子育てにおいてはより重要な指摘だと思われる。



 私たちの会話は、ともすれば「半聞き」が多い。そうでなく「本聴き」をする。子供を責める代わりに自分の成長をめざすトレーニングである。聴き手の親は、子の立場を容認する思いやりが身についてくる。それは子どもに反映する。「聴く」ことは友好のしるしである。(p.45)


「聴く」というと、私が常に想起するのはヤスパースのVernunft(理性)の概念である。(この語はvernehmen(聞く)から来ている。)

この引用箇所では、「本聴き」を自分の成長を目指すトレーニングとしている点が興味深い。確かに、人の話をきちんと「聴く」のは労力というか自己を律することが求められる。また、単に受動的なものではなく、話し手の立場をよく理解し、その背景などにも想像を巡らせることを求められる。その様に考えて来ると、こうしたトレーニングを積みながら子どもに接して行けば、関係性もよくなるだろうし、子どもにも良い模範を示すことにもなる。やってみる価値のあるトレーニングではないかと思う。



 一日五回以上、子供をほめ、ほめた自分の言葉だけ書く
 ……(中略)……。
 ほめる回数を一日五回以上としたのには、意味がある。一回や二回では親のものさしや枠でほめやすいが、五回以上ともなれば、探してほめ、あるがままの子供をほめることになるからだ。
 ……(中略)……。
 子どもから話しかけた言葉を注意して聴き、その語尾だけ、一日十五回以上、書く
 ……(中略)……。
 第三の技術は、単純な「書く」ことである。……(中略)……。
 ……(中略)……。書いているうちに、ほめる事の大切さもわかり、習慣にもなる。……(中略)……。
 とかく、愛さえあれば、と考えやすいが、教育と同様に子育てにも芸と術がいる。教育学に通じていても、実習して芸と術を身につけなければ子供は動かせないように、愛があっても、表現を正しく高めなければ愛は生かされない。(p.76-79)


本書が推奨する方法(ほめる、聴く、書く)の具体的な説明の一部だが、なかなか理に適っており、かつ、実行可能な範囲内に収められているように思われ、試してみる価値はあるように思う。



だっこは身体でほめることになります。(p.139)


なるほど。



 “やりたい放題”は、叱らず、『ダメ』を使わずに、『これ面白いよ』という風に、方向・方法づけるんです。ほめれば変わります。(p.156)


基本的に正しいやり方と思う。



 長いものに巻かれろは、同時に下に向かって差別となる。権力のあるもの・強いものに絶対服従し、代わりに弱いもの・力の劣ったものを徹底して責める。
 人の顔色をうかがう人間、目立たないように逆らわぬように常に勢力の強大なものに従って自分を守ろうとする事大主義(大に事(つか)える主義)が、この子たちの生活信条になっているから問題なのである。(p.173)


ここで述べられている事大主義は、ここ数年から10年ほどの間に勢力を伸ばしてきた「保守」と名乗る政治勢力を支持する人々のメンタリティそのものではないか。(安倍晋三や稲田朋美や山谷えり子のような「保守」のことを指しているが、本来は彼らの立場は「保守」ではなく「反動的復古主義」とでも呼ぶべきものである。)



少年の嘘は、裸の自分と向き合わないための緊急避難であり、処罰を恐れた自己防衛なのだ。(p.186)


子供の嘘は大人よりは多少大目に見た方が良い場合もあるのかもしれない。



 それにしても戦争の傷跡は長く残る。一家族の上に三代にわたって影響している。幸せな結婚が、戦争のため重婚となり、当事者、その子、孫までひびくとは。
 誰が悪いのでもない。同時代の誰もが、そういう目にあったかもしれないのだ。(p.198-199)


本書は1986年に最初の版が出ているが、当時はまだ現在よりはかなり戦争の傷跡が身近なところに見える機会があったことが感じられる。

以上は、ある夫婦の夫が戦争に行き、戦後もしばらく音信不通のまま戻らなかったため、死亡したものと思い、妻は周囲の勧めで別の男と再婚し、子どもができた。そのとき死んだはずの夫が帰ってきたことで、家族に様々な不和が生じることとなり、孫の代まで影響が及んでいたという相談事例について語っている際の発言である。


スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/1140-dd9581ce
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)