アヴェスターにはこう書いている?
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内藤辰美 『北の商都「小樽」の近代 ある都市の伝記』(その2)

 一言でいえば、明治以前の小樽は、運上屋の時代であった。
「明治以前の所謂運上屋時代には、運上屋自体が豊富な資力で、独占的に漁獲した鰊や鮭の製品を、自己の所有する千石船(弁財船)に積んで、北陸一帯の港や、関門、四国、尾道、兵庫、大阪、名古屋まで輸送して此れを売り捌き、帰りの船には漁業用資材や米味噌、雑貨、大物類を満載して漁民に此れを鬻いだ。すなわち運上屋が漁業と商業を兼業する立場にあったのである。尤も其他にも小規模ながら鰊製品を漁師から買入れて此れを東北、北陸方面へ売捌き、その見返へりとして生活物資を移入していた商人が幾らかあったが、真の商人が現れたのは、維新後運上屋が廃され、自由漁業が許された以後と見做して宜しかろう」(本間勇児 1970:1-2)。
 そして、草創期から明治20年代までの小樽における支配的勢力は、幕末以来小樽において漁業を営み、明治初期には戸長などをつとめた山田吉兵衛や船樹忠郎をはじめ、明治10年代から漁業・商業などをもって小樽の財界に地盤を固めて来た人々であった。その当時の小樽はそうした支配層が君臨し都市の秩序を形成した。しかし、明治30年代に入るとそうした状況に変化が生まれてくる。その契機は何と言っても都市小樽の成長である。(p.85-86)


明治30年代における変化の背景には、明治15年に全通した幌内鉄道や北海道の内陸への開拓の進展があると言ってよいのではないか。それ以前は鰊を中心とする漁業が中心的な産業であったが、北海道からの石炭の移出のほか、内陸への生活物資の出入口として商業都市へと比重を移していったのではなかろうか。



小樽には早川系と唱え、寿原系と呼び、野口系と称し、何系と名乗る「連絡商店」が多く、全道各市街地に亘って緊密な連絡を形成している商店が少なくない。(p.101)


ここは小町谷純、倉内孝治からの引用の部分である。連絡商店とは聞き慣れない語であるが、どのようなものなのか気になる。



 小樽は、鰊漁を中心にした漁業家の繁栄期、鰊の不漁と海産商の盛況、第一次世界大戦後の雑穀商の旺盛(本間勇児、前掲:2)という変遷を経験した。(p.103)


明治大正期の小樽の中心的ないし代表的な産業の変遷について簡潔に述べていると思われる。海産商は海産物を移出し、生活物資を移入するという経済が確立する過程で盛況したと思われ、雑穀商は北海道における農業の発展と交通網の整備と関連していると思われる。



 近代日本の場合、国家による都市の支配(権力の構造)が明確で、国家と都市の関係には権力をめぐるダイナミックな関係があまり見られない。それに対し、都市の内部は、複数勢力による対立・紛争がありきわめてダイナミックであった。しかし、そのダイナミックな勢力関係も権力との対抗にまで発展しなかった。小樽の場合で言えば、勢力による国家(道庁)への非同調的行動はあったけれども、それは権力=国家との対抗にまでは至らなかった。そこに、すなわち、勢力間の闘争が権力の対抗までに至らなかったところに近代日本の特質がある。それは自治のエネルギーを内部に潜在させながら、その発露を勢力に留め、権力=国家に向けることのできなかった近代日本の都市がもつ脆弱性であった。その形は現代においても継承されている。戦後の日本においても都市と国家の対立という例はまれである。(p.111)


都市(住民や地方政府)が国家(中央政府)の権力を脅かすことが少ないというのはその通りであると思われる。



明治初期、石狩、天塩、北見、胆振方面の農産物は、大小豆が主で、夫等奥地の農産物は札幌の商人の手にかかって小樽え運ばれ、それが小樽の海陸物産商に依て本州各府県に移出されたが、その頃大きな雑穀商は多く札幌にあった。ところが明治25年札幌に大火があって以来、札幌の商人が疲弊した。これがたまたま、此の年室蘭・夕張線の鉄道が開通し、それ以来雑穀類は小樽の商人の手を経ることが多くなった。(p.117)


本間勇児からの引用。雑穀商は初期は札幌が優勢だったが、明治25年の大火により札幌の勢力が疲弊し、同時に石炭輸送における幌内線のライバルとなる室蘭・夕張線ができたことで、小樽では石炭よりも雑穀などの生活必需品へと港で扱われる商品も変わっていった、ということか。(室蘭・夕張線と小樽の雑穀商が活躍することとの関係が明示されておらず分かりにくい。)



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